馬車は走る(六作品) 沢木耕太郎 H11・4/17
文藝春秋社 定価 1200円 買値 600円(府中街道中之島にて)
S・61年5/20 第一刷発行
シジフォスの四十日
シシュフォス【Sisyphos ギリシア】ギリシア神話中の人物で、コリント王。ゼウスに憎まれて、死後地獄でたえずころがり落ちる大石を山頂へ上げる刑に処せられた。シシフス。シジフォス。(広辞苑より) ・・・・・・・・・・・・・・・ 96p 石原は〜あと一枚あと一枚といって必死に撮りまくるカメラマンたちにいくらかの軽蔑を含んだ調子で「まったくカメラマンというやつはシジフォスだな」と言った。 この程度なら私も何となく意味合いが分かるのだが 72p 石原「〜ハト派の中でセオリティカルでアナリティカルなしかも現実的なプラグマティックな人は一人もいない。こういうこというから憎まれるんだな。(笑)」 ・ この横文字をすぐ理解できる人はどのくらいいるのだろうか。 私には辞書が必要だ。 石原慎太郎が1975年(昭和50年)に都知事選で美濃部都知事と戦ったときに石原の選挙カーに同乗したりして取材を重ねた沢木耕太郎の作品である。 97p この作品において石原慎太郎が負けた理由を沢木は・理由はひとつ彼が石原慎太郎であったことだ・と書いている これは石原慎太郎が石原慎太郎自身を変えようとしなかったことなのだが 自分の出身区である二区(城南地区)で敗れたことで彼は完全に敗れたのだと書いている。 話が飛ぶが今回の都知事選においても石原は石原自身を変えようとはしなかったと思う。 しかし今回は勝った。この作品を読む限りこのころから今まで彼の人間性は変わってはいないと思う。 沢木は神経質な部分と無神経な部分とが矛盾なく同居している石原慎太郎の人間性を弁当の食べ方からカメラマンやボーイに対する苛烈な言動から描写している。 興味を引いたのは石原慎太郎の人間性はもちろんだがその参謀である選挙のプロ飯島清(この人の名前は初めて聞いた。)という男の票読みと選挙が職業とも言うべき慧眼。 それに劇団四季主催者の浅利慶太の美濃部都政の文化行政への私怨−65p |
特に美濃部側のウグイス嬢は新劇の役者を使い玄人だからいつもフレッシュに素人っぽいと言い 石原側は素人ゆえに繰り返すうちにバスガイドやパチンコ屋の場内放送のように台詞になれ新鮮さがなくなるという浅利の話は本当かどうかは分からないが、なるほどと思った。 石原慎太郎も浅利慶太もこのころは42歳。取材する沢木は28歳 河野洋平への働きかけや黛俊郎のタカ、ハト発言、それに石原側の運動員の普通の人間も面白い。 沢木耕太郎は最後にこう書いている。 石原慎太郎が個人演説会の会場の通路でふと足を止め夜のため鏡となった窓ガラスにネクタイを写す場面だが ・・ほんの一瞬だが鮮烈なほどナルシスティックなシーンに映った。〜中略〜 彼は小説家であり、小説家でしかなく、小説家こそ天職だったのではあるまいか。 最終得票数 美濃部亮吉 2,688,566票 石原慎太郎 2,336,359票 ・・・・・・・・・・ この作品には弟の裕次郎と中央線で移動する話とかも少しでてきます。 石原慎太郎のエリート意識の強さの印象と比べ 美濃部都知事の印象というと、山本コータローとソルティシュガーが歌った「走れコータロー」で「えーこのたび、公営ギャンブルをどのように〜」の台詞ぐらいしか私は印象がありません。 (カラオケで時々やったりします)しかし石原慎太郎の知事というと、彼の公約といい 青島知事よりも劇場型政治が見られることは期待できます。しかし最後は自民党と手を結ぶのではないでしょうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 96p カメラマンの事をシジフォスと言う 石原自身もまた空しい演説を繰り返すシジフォスではなかったか。 タイトルはここに由来するようです。 平成8年に読みましたが、再度読み返しました。この「馬車は走る」には他に 「奇妙な航海」というタイトルで1985年の作品でロス疑惑の三浦和義との逮捕されるまでの1週間の話もありますがこれもなかなか興味深いものがあります。 |