プロを目指した二人 H11・4/29


 何年か前、貯金を趣味にしようと思い(半分冗談だが^^;)当時TVCMで野村君がやっていた累積投資信託を始めた。

 最初にセガか任天堂のどちらかを買おうと思い、迷ったが、天に任せるという字?にひかれ任天堂を買い始めた。

 6000円くらいから買い始め10000円くらいの時に売り利益の半分は妻にやり残った金でオービルというギターを(日本の富士楽器が作っているレスポールモデル。今は製造中止になっていると思う)を買った。

 その後ある電気株をやはり累投で買っているが、株式欄をみるとMという会社が時々目に付く。松下やパイオニアと同じくらいの株価。
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 1982〜3年頃だと思うがk君はこの会社を何年も勤めないうちにやめたのだった。

 「勤めててもおもしろくないし、それに人間二つのことはできないから。」私と比べあっさりと安定を捨てるあたりの身軽さはB型のせいか知らないが彼の持ち物同様である。

 調布に近いk君のアパートの部屋というのは恐ろしく殺風景で、ほとんど荷物がなく小さなテーブルに本棚らしきボックスが一つそれにギターが2台そんなもので私は最初に彼の部屋を見たときは無駄なモノを持たない姿勢に感動したものだった。(TVもなかったと思う)

 k君と私は会社から借りたキャラバンにアパートから布団とギターを積み東北自動車道で仙台へ向かった。

 彼はプロになるため高校時代のS君という同級生と二人で合宿をするという。とても暑い夏の日だったが、高速道路で窓を開け、何となく解放感を味わいながらこれがバンドのツアーで移動してるんだったらなぁとか思いk君にもそんな話をした。

 仙台でS君のアパートからやはり布団とシンセサイザーの類を積み込み今度は群馬県の桐生市へ向かった。S君というのはいかにもロックミュージシャンぽくお尻が小さく痩せていた。(今思うとおかしいのだが日本のロックミュージシャンというのは痩せていて筋肉がなく尻が小さいのが多いと当時私は思っていた。それに比べ本場の外人はたくましいと思っていた。)

 陽が西に傾きかけた頃合宿の目的地、k君が学生の頃住んでいた桐生市についた。

 Iさんというk君の昔のバンド仲間の家でとりあえず1ヶ月二人でプロになるための基礎づくりをするということだった。

 二人とも会社をやめている。20代前半それなりに背水の陣だ。
 私は二人と違いプロになろうと考えたことはない。分というものをわきまえていた(技術もないし、かといってスタンダードで残るような曲をかけるわけでもないからだ)

 着いた日、Iさんの家では18畳くらいの洋間でバンドがカーズの曲の練習をしていた。大きなエアコンが部屋にあったが何故か窓を開け放している。つけるとブレーカーが落ちるというのだった。
 住宅密集地なのだがお構いなしに結構うるさい音を出している。キーボードの調子が悪いようだがドラムやギターの音は大きくこれは騒音公害で怒鳴込まれるのではないかと真面目に心配してしまうような音だった。

 ドラムのIさんがリーダーらしくカーズのユーマイシンクという曲だったが短パンのギタリストにソロを何回も弾かせる。
 k君が耳を近づけ「俺に意識させてるみたいだ」と言う。
「がんばれよ」と言い私は東京に戻った
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合宿を初めて20日位もたっただろうか。電話がきたのかかけたのか忘れたがk君はあまり元気がなかった。

 うまくいっていない様子が伺える。S君は東京から訪ねてきた女とプールへ行ったりしているらしい。K君は昔の知り合いとペンキ塗りをしたりして過ごしているとの事だった。

 曲はまるでできていない。彼らは空中分解をしていたのである。今思うにk君はまじめに考えていたが、S君にとっては前の女と別れるひとつのきっかけをこの合宿に見いだしていたような気がする。彼は仙台の女に何も告げずに出てきていたらしかった。

 結局二人は何も結果を出せないまま
東京に出てきた。k君は私のアパートに何ヶ月かいたがそのうちアメリカへ行き今は教師をしている。

 S君はPC関係の会社に勤めたが今は郷里に帰ってプロヴァイダの仕事をしている。

 合宿の場を提供しドラムを叩いていた婿養子のIさんは離婚したそうだ。
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次回はギタリストの必需品?ピックです

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