豪徳寺ミュージシャン列伝 2 H11・8/14


 このコーナーずいぶん間があいたのである。

 ほとんど個人的な事ばかり書き、これに何の意味があるのかと思いつつまた書き出してしまったわけだ。

 Hには俳優や女優になろうとして劇団に通う者、それに音楽で生活をしようとする連中が多く出入りしていた。
渋谷のライヴハウス、エッグマンを満員にできるバンドもいたし、オレンジ・カウンティ・ブラザーズ(おそらく誰も知るまい)のLPにやっとハンドクラッピングで名前がクレジットされたと喜ぶ男、宇崎竜童の甥っ子がベースをやっていたバンドやパンク系のバンドの連中など実に様々だった。

 当時私はHで知り合った女の子のアパートに入り浸りHへ行く回数は減っていたのだがある時久しぶりに店に行くと、ママさんが「すごいギターの上手い子がいるのよ」と言う。

 そして2、3日後店で紹介されたのが「香川」という大学生だった。
彼は髪はアフロヘアで背はあまり高くなく、映画の寅さんに出てくる佐藤蛾次郎の子供みたいな容姿だったのだが、ギターを持たせるとそれまで私が出会った中では、一番上手かった。
 大概ギターの上手い人というのは生ギターでまずしっかりした大きな音を出せる(エレキと違いごまかしがきかない)それとフレーズのリズムがいいのである。彼は速いプレーもすごかったがしっかりしたピッキングでスローな曲でのテクニックも抜群だった。

 よく楽器店に行くといきなり早弾きの試奏をしている人がいるが、楽器店の店員は冷ややかである。店員の方が大概ギターが上手く、いきなり早弾きなどをする人はひけらかしで買うつもりがないということがわかるらしい。

 スローな曲でのリズムとフレーズは以外とむずかしい(たとえばメトロノームの1分間=40でリズムを取れというと結構大変だ)プロのピアニストでは1分間=6くらいのタイム感覚がある人もいるらしいが・・・・これは余談ですが。

 香川はフージョン系のバンドをやっていた。赤いES−335でばりばり弾く姿をみて彼はプロになれると私はそのテクニックから思った。(彼ももちろんプロ指向だった。)
リー・リトナーやラリー・カールトンとかエリック・ゲイルが流行っていた頃である。

 彼はママさんの話によると、最初のスタートは「シブガキ隊」のバックバンドでその後、桑田佳祐に認められ、彼のソロアルバムや(孤独の太陽など)多くのアーチストのレコーディングに参加するようになった。藤井フミヤの「エンジェル」では全面的にギターを弾いており、タイトル曲のエンジェルは彼の作曲である。

 私は86年に帰郷したが、その後東京へ出張のおり、Hの主催の新宿のJAMでのパーティに行ったら彼はもうプロミュージシャンだったのに、金井克子の「他人の関係」を歌ったりアマチュアの連中といっしょにステージに出ていた。私の知る限りではHにいた連中の中では彼は一番音楽業界で名前が知られるようになったのである。

 香川の本名は小倉博和という。なぜ「香川」と呼ばれていたかと言うと彼は四国の香川県の出身だったからだ。当時Hでは本名で呼ばれている人は少なかった。九州の地名からのハイキさんとかその風貌から熊さんとか、勝手に自分の事をリオとかレイとか話す女の子もいたりしたのだった。

 これを書くにあたり試しに小倉博和で検索を入れてみたら100件以上ヒットしましたがスタジオミュージシャンとして彼は自分の夢をかなえたわけです。

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次回は kさんに教えるです。 ゴルフ好きな人がギターを教えてくれと言ってきた話です

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