ライブの失敗
1979年頃だったと思う(あやふやだが)
3、4回の練習で代々木のライブハウスにでたのだった。
ヴォーカル ギター ベース キーボード サックス2名 ドラムの7人構成
よく通っていた飲み屋のママさんが時々ライヴパーティを開くのであった。店の常連のOがメンバーを集めてきた。彼は音楽業界で仕事をしており、私はO以外は全て初対面だった。他の連中はサックスの一人とヴォーカルを除いてそれなりに音楽を生業にしているのである。
Oがギターに私を入れたのには訳がある
飲み屋の客はOと私だけで他は誰も知らない連中なので、身内のパーティだから店の常連の私を入れた方がいいと思ったのだ。
それに恐らく私の方が扱いやすいということもあったろう。
Oと初めて飲み屋で出会ったとき彼は名刺をくれた。「ファンキーニールO」と刷ってあり裏にドラマー、 シンセサイザープログラマー、音楽評論家 プロデューサー、ディレクター等々実ににぎやかなカタカナ文字の名刺なのである。
Oはロッキンfという雑誌にレコード評を書いたりベースの試奏レポートを書いたりしていたが、後にジャズヴォーカルのアンリ菅野のプロデュースをしたりもした。彼はレコードの事は非常に詳しくレコード評とか、対談記事とかはまあ理解できたのだが、ベースの試奏レポートを書いていたのには驚いた
ドラムとギターを弾くのは知っていたが、ベースをまともに弾けるとは信じられなかった。それが写真入りで試奏レポートしているのであった。私は彼の度胸(ハッタリというか?)に驚いたものである。
そのOが集めてきたメンバーはなかなかの凄腕だった。バンマス(我々はこう読んでいた)はOだったが決めのフレーズを指示したりするのは、サックス吹きなのになぜか銀座のシェーキーズでバンジョーやカントリーギターを弾いているKさんだった(彼は私の数倍ギターが上手かった。いわゆるマルチプレーヤーというやつ)
その場でフレーズをさらさら譜面に書いて渡されたりするのである。2、3小節だが私は緊張した。
そういう仲間は今まで私の周りにはいなかったのである。
演奏曲は4曲だった。
スティビーワンダーのイズント・シー・ラヴリィ
ビリージョエルの素顔のままで
ジャズのミスティ
それにCコードから始めるカントリー風のオリジナル(インスト)
私はジャズは一度もやったことがなかったのである。ミスティの進行を覚えるだけで一苦労だった。
イズント・シー・ラヴリィはそれぞれソロを回す事になっていた。サックス キーボード ギター ベースと回すのである。
練習の時にドラムソロも入れようと言ったのだがバンマスのOは頑としてやらないと言い張った。曲が長くなりすぎると言うのである。
そしてライブ当日私は当日Oの友人から借りたギターでステージに出た。
(情けないことだが自分のグレコのレスポールモデルを質屋に入れっぱなしにしていた。)
練習の時はOのピックアップをガムテープでくっつけたギターを借りていたのだが、まさか本番はそれで弾くわけにはいかなかったのである。
出番はトリの前である
イズント・シー・ラヴリィからスタート。歌が終わりソロを入れていく。
ベースのソロが終わりにさしかかった時、Kさんが指を動かした。それを合図にドラムとピアノだけの演奏になった。我々はバンマスにソロの機会を強制的に与えたのだった。Oは最初あわてたようだが、そこは度胸一発、上手くこなした。(我々はにこにこしながらも意地悪く見ていた。)
最も彼は好きなハービーメイソンみたいな訳にはいかなかったと後に語ったらしいが。
間の2曲を無難にこなしたが、
最後の曲はミスティだった。私は実はこれが自信がなかったのである。
サックスがソロを入れている間に私はコード進行をど忘れしたのであった!!(最悪のパターン ジャズの進行をよく知らない悲劇だった)
私はテンションコードを弾いているためごまかしがきかないので、ピアノがコードを入れてくれているのに意を決しギターのヴォリュームをオフにしたのである。
その後は何小節か弾いているふりをしたが目の前の客にはしっかりばれた。
まずったなぁと重い気持ちで演奏を終えたのだが、なんとどうしたことか盛大なアンコールがきたのである。
身内が多かったせいでアンコールがきたのだがバンドはアンコール曲など用意してなかった。
そこで「素顔のままで」をもう一度演奏したのだが私は1回目のソロのときと違いジャズ的要素を全く感じさせないペンタトニック一発のソロを弾いた。
後でテープを聞きながらOがにやにやしながら私に言った。
「さすがに2度も同じフレーズは弾けないよなぁ」と
その後も何度かOに誘われたが、私は遠慮した。彼とやるとフュージョン系の音楽になるので私は2度と恥はかきたくなかったのである。
最もハードロッックのユニットでも失敗例はあったので結局は腕がなかったのは分かり切っているつもりだ。
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