モーリスと学校祭に出る H11・2/2

73年、高校に入り髪も坊主頭から少しずつ伸びてきて学校祭がやってきた。(6月だったかな)
 クラスの委員の件で教師や応援団ともめ事をおこしていた頃だが、そのころは「他人に束縛されずに自分の好きなことをやる。」というのが主義だった。出演者の募集を見て学校祭のステージの申し込みを放送部にしにいった。

 学校祭の前日の夕方、リハがあったのだが、バンドと違い一人なので、バランスなども考える事もないので欠席した。

 そして当日、2万円で買ったモーリスのギターとハモニカホルダーをぶら下げ、借りた譜面台と共に2番目だったと思うが、講堂のステージに立ったのである。最初の曲は泉谷しげるの「春のからっかぜ」から
ハモニカを吹きながらの(ハモニカはいろいろなキーのものがあるが基本的にはギターのトニックコードと同じものを使えばいいらしいという知識はあった。ブルースハープは違うらしいが)イントロだった。

 ギターは少しずつためていた金で買った。
初めて買ったギターである。73年当時、
国産ではヤイリが一番高く、ヤマハやモーリスの2万円というのはまあまあのクラスだったと思う。
 アメリカの方ではマーチンのD25だか51だったか忘れたが有名だった。数十万もするのでどんな音がするのかなぁと思っていたものである。
ちなみに高校の2、3年生の頃、KAWASAKIのZ2の新車が36万円くらい、ギブソンのレスポールが同じくらいの価格だったはずだ。この時は他に井上陽水の「あどけない君のしぐさ」それに最も歌いたかった「人生が二度あれば」あと2曲ほど歌った気がするがどれも陽水の曲だった様な気がする。「人生が二度あれば」を歌う前にMCを入れた(当時はMCなんて言葉は知りませんでしたが) NHK−FMの音楽番組でDJがこの曲に対して、よくない事を言っていたことに対しての自分の考えを言ったのだった。 
 これが初めて大勢の前で歌った時だが、たくろうの歌を歌わなかったのは今思うと不思議である。後で友人に聞いたら、少しは自分も気づいていたのだが、ハモニカとギターの音程が、すこしずれていたようだった。ハモニカに合わせてチューニングするのを忘れていたせいですね。モーリスのギターがこれだけの人の前で弾かれたのは実はこれが最初で最後だった。1年後くらいに麻雀のツケを払うため後輩に1万円で売った。最後に弾いた曲は♪ドナドナド〜ナで・あるわけはない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・次回はトムソンとの出会い」です。

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