ディスコの帰りに寄った店 H11・3/3


 1978〜79年頃だ。新宿の歌舞伎町コマ劇場のそばの噴水のある池(今はない)の近くのアップルハウスというディスコに友人のSと通っていた。                    

 Sは自動車会社の季節工として働いていたのだが、退職金(慰労金か)をもらい私のアパートを訪ねてきた。そのSと一緒に四畳半のアパートからディスコ通いをしていたのだった。

 当時新宿のディスコで有名なのはツバキハウスだったが、敷居が高い感じを持っていたので、(いわゆる当時の言葉でNOWい(化石語か)連中が行くような店だった)引け目を感じなくてもいいような店に行っていた。    

 最も10年くらい前だったが最後に行ったディスコはこのツバキハウスだった。もう寂れに寂れていてソファに穴があいておりビデオのプロジェクターがあったがチーマー(これも死語か)連中のたまり場という印象を受けた。

 (三十過ぎて昔の同僚とその後を検証しに行ったのであるが物好きなものだ。)

 アップルハウスにはフィリピンのバンドが入っていた。70代末期、他のディスコにも結構生バンドが入っていたようだ。フィリピンのバンドは他のディスコでも見たが演奏能力が高い。シーケンス的な機械にやらせるようなフレーズもマニュアルでやってしまうと知人が言っていた。(本当ですかね?)

 そこで聞いた曲はほとんど忘れてしまっているが、一番印象に残っている曲はアニマルズの曲の「悲しき願い」でこれのサンタエスメラルダのディスコバージョンである。

 最初1、2小節のドラムの後、哀愁!を帯びたフラメンコ調の流麗なギターが入るのである。この曲をバンドが始めるととウォーと言う歓声が起きそして例の「タッタタ・タタタタター・タタタータ・タータでみんな一斉に跳ねる踊りをするのであった。

 私はバンドのギタリストがフラメンコ調のイントロを弾き始めるとその無駄のない左手のフォームに感心しながら、イェー!とか言って踊りまくっていたのである

 ある日のディスコの帰り小田急線で豪徳寺の駅に降りアパートまで歩いていたのだが、おなかがすいてきて、何か食べたくなった。最終に近い電車で帰っているので0時を回り開いてる店といったら飲み屋だけである。

 私は何故か急に刺身が食べたくなり(恐らくディスコで油っこいものばかり食べていた反動だったと思う)

 Sと一緒に一軒の赤提灯の店の引き戸を開けたところ中は4坪ほどの店で満員に近かったが、二人は座れそうだった。中の7〜8人の客が一斉にこっちを向いたが、かまわず、ママさんみたいな人に「刺身あります。」と聞いたところ「いいえ、うちではないです」
と言われた。

 後々「赤提灯をかけているような店で刺身と聞くことはないでしょう」
とママさんに言われたのだが、それもいま思えば当然である。

 この時その狭い店でなにやらじゃんけんをしていた綺麗な女の人がおり、どうも野球拳らしいと思ったが刺身がないと言われたこともあり、入るのもおかしいと思い後ろにいたSに「帰るか」と言い引き戸を締めかけたところ、中から
「ここはお前らみたいな奴のくるとこじゃねーと罵声を浴びせられたのである。

 この野郎と一瞬思ったが、とりあえずアパートに帰った。しかしどうしても収まりきれず、それにお腹がますます空いてくる。そこで30分後くらいにもう一度その店に行ったのだが、罵声を浴びせた男はすでにいなかった。客も誰も残っていなかった。

 その後私は何故かこの店に通うようになり
 罵声を浴びせた男が宇崎竜童の甥っ子の双子の1人だと知ったのはそれからしばらくしてからの事だった。

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次回は99年に戻って               私のレコード及びCDを紹介します。       
        
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