りりぃのバック H11・4/11


 21歳の頃から私は豪徳寺のHという店に通うようになった。20代の夜の多くをこの店で過ごすようになる。
(店に通うきっかけはここへ))

 この店は4坪程しかなく客も12、3人で満員という店だった。
 三楽(今のメルシャン)のウィスキーのオーシャンホワイトのボトルが1600円。
九州の球磨焼酎のボトルも1600円。当時オーシャンは600円くらいの小売価格だったと思う。

 外見はただの赤提灯の飲み屋なのだが九州出身のママさんは小さなステレオでJazzのレコードをよくかけていた。

 ここには青年座や文学座の俳優養成所へ通う人とかバンドをやっている連中が多く出入りしていた。

 誰かが置いていったギターが2本置いてあり酒を飲んでは誰彼ギターを弾いて騒いでいたのだがある時ここにりりぃがきた。

 男と二人連れで、どこかの飲み屋から流れてきたような感じだったが、ママさんがほろ酔い加減になったりりぃに
 「ねぇ、りりぃなんか歌ってよ、ギター弾ける人いるし」と言う。

 この時店には4,5人ほど客がいたが、ギターを弾ける人と言うのはキヨちゃんと私だった。

 キヨちゃんという人はブルース系に多いがピックを使わない人で浅川マキのあたりの音が好きな人だった。
 
 プロではなかったがよく響く大きな音を親指と人差し指でだしていた。私はあまり話したこともなかったのだがいかにも玄人受けするような、なかなかのギター弾きだったのである。
 
 キヨちゃんは何も臆するところなく、弾き始めた。彼はりりぃの曲を何曲が覚えていて、りりぃがそれにあわせて気持ちよく歌い始めた

 残念ながら私はりりぃの曲といえばヒットした「私は泣いています。」位しか知らなかった。(「心が痛い」とかのヒット曲もある)

 キヨちゃんがコードを奏で私がリードを入れることになったのはそういうわけだ。
 全く知らない曲に何とかついていきオブリっぽい(あくまでもそれ風)フレーズやソロをいれるのだがどうも弾きながらフレーズが今一今三だなぁと思っていたら、2曲くらい弾いたらりりぃに言われたのである。

 「ちょっと!リード!まじめに弾いてよ」
まじめに弾いているつもりなのだが、どうもぱっとしないなぁと自分でも自覚していたので、
「すいません」
と思わず言ってしまう。

 キヨちゃんはともかく私は明らかに役不足だった。実はその何年か前りりぃを新宿のライブハウスのロフトで見たことがあった。
バックのギターが伊藤銀次だった事は覚えているが、なんの曲をやったかは覚えていない。(つまり知らない曲ばかりだったということ)

 昔金を払ってみた人が(1500円くらいだったと思う)目の前にいるのが何となく不思議だったのだが。店の客は大喜びである。

 3曲目だったか、キヨちゃんが言った。「そこ歌!ちがいますよ。」なんとりりぃが自分の曲の歌詞を間違えたらしく歌を作った本人に歌詞を教えたのだった。

 りりぃは「あ、そうだった」とか言いながらハスキーな声で気持ちよく歌い続ける。

 私はりりぃにそのハスキーな声はホントにビールの飲み過ぎでなったのと聞きたかったのだが、結局聞けなかった。

 しかしプロのバックで弾いたという楽しいひとときを過ごしたのである。(りりぃには迷惑だったでしょうけど)
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次回は友人の合宿・・
  プロになろうとした男達です

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