| ベトナムへの入国は、初めての社会主義国ということで、入国審査で思いもかけない持ち物を咎められたりしないか不安でしたが、外国人観光客は素通り状態。出国も同様でした。 当時のホーチミンは、轟音をたてながら、たくさんのバイクが走っていました。庶民の足はバイクで、走っていた車はまだほんの少しでした。男性はもちろん、若い女性や幼い子どもを連れた母親も大勢運転していました。2〜3人の相乗りも当たり前の世界。車もバイクも日本の廃車を改造したものが多く売られていて、バイクはHONDAやYAMAHAが人気がありました。 ホーチミンは、これから発展することを感じさせるような活気に満ちた街でした。ガイドブックは「喧騒の街」と書いています。 経済的には貧しくても、自由でのびのびしていて、社会主義国という雰囲気は微塵も感じませんでした。南北統一を実現したホー・チ・ミンの名が都市名になった「ホーチミン」、いつか「サイゴン」に戻る日が来るように思います。 夜は夕涼みを兼ねて、大勢の若者が古いバイクを乗り回していましたので、ホーチミン市内は夜半まですごい騒音でした。若者が元気な国は発展するでしょうから、がまんしませんとね。バイクが途切れることなく走っていましたので、信号機のないところの広い道路は、最初は怖くて渡ることができませんでした。けれどバイクが上手によけてくれますので、気にせず渡り始めてしまえば渡れるコツを、すぐにマスターしました。 ホーチミンでは、同行した友人が、ベトナム女性の民族衣装、「アオザイ」を仕立てました。観光客向けのお店で、上下で8千円位。自分の気に入った柄の布を選んで注文してから2日後に仕立て上がりました。帰国後、結婚披露宴のお呼ばれに着用したそうです。 その仕立て屋の奥で、友人が寸法を測ってもらっている時、お店のご主人が「彼女はバストがないので、アオザイが似合わない」と、私に言いました。後でふたりで大笑いでしましたが、豊満なボディのベトナム女性もあまり見かけませんでした。 ベトナム人は、肩巾や足の巾なども、同じアジア人種の日本人よりかなり細い体型の民族です。店頭で見たサンダルや洋服なども、日本のものより細身に作られていました。民族の細さは、ベトナム戦争の戦略のひとつにもなりました。このことは、戦争の回で触れることにします。 RES----- 「なんで21年前にならないの?」 「竿や〜竿竹〜20年前のお値段です。」と車でスピーカーから流しながら物干し竿を売りに来るその声が聞こえた時、次女が言ったのでした。 確かにずっと前から20年前のままなのです。なるほどと思いながら私の頭の中にそう言えば「創業500年」って何で501年、502年とならないのだろうと老舗の広告のコピーが浮かびます。
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