1986.1.28「細野晴臣ゲスト/FOE特集」

1/28放送 ゲスト・細野晴臣
曲名 アーティスト名 収録CD・番号
O.T.Tマニフェスト F.O.E 30CH-180「ザ・ワールド・オブ・F.O.E」
ワールド・フェイマス・テクノ・ポップ F.O.E 30CH-180「ザ・ワールド・オブ・F.O.E」
セックス・マシーン ジェームズ・ブラウン POCP-1847「スーパーナイスプライス1400」
サン・シティ(ダヴ・ヴァージョン) アーティスト名不明
スレイブ・トゥ・ザ・リズム グレース・ジョーンズ
ダンス・ホール F.O.E 30CH-180「ザ・ワールド・オブ・F.O.E」
サヨコスカッティ 細野晴臣 TECN-15337「コインシデンタル・ミュージック」

放送概要など
「 」内は坂本龍一氏、細野晴臣氏コメントの抜粋。
それ以外は榛野まなみ(アルコ堂)の解説です。


坂本(以下Sと略)「今日は久しぶりに細野さんがゲスト」

細野(以下Hと略)「もう始まってるの?」

S「去年はずいぶんレコード出しましたね」

H「なんであんなに出しちゃったんだろ(笑)」


ちなみに1985年に細野さん名義で出したアルバムは次のとおり。
7/7「銀河鉄道の夜」
8/21「コインシデンタルミュージック」
9/21「マーキュリック・ダンス」
9/21「パラダイス・ビュー」
10/21「エンドレス・トーキング」
12/16「FRIEND OR FOE?」
というところでした。確かに多いかも。
アルコ堂主宰の未森さんはこの時期の細野さんの音楽がかなりお気に入りです。
特に企画ものの「銀河鉄道の夜」がベストとのことでした。
(あとSFXも)


「O.T.Tマニフェスト」

S「OTTって?」

H「TOPの上のこと」

S「これってラグビー用語じゃない?正月やってたよ」

H「そうかもしれない、初めて聞いた」


この後、情報コーナー。内容はニューヨークでの細野対談のこと。
また、内容については、先ほど20年の長きに渡る歴史に終止符を打った、
雑誌FMステーションで紹介されていました。


S「どんな人たちと対談をしたんですか」

H「アフリカン・バンバータ、
ビル・ラズウェル、
ドクター・ジョン、
ジェームズ・ブラウン、
ローリー・アンダーソン。
特にバンバータとラズウェルの意見の対立が面白かったね。
ヒップホップシーンをめぐっての」

S「各地でヒップホップが膨張しているんでしょ。ゴーゴーとかに進化して」

H「そんな中でバンバータなんか、孤立奮闘している。
レコードも聴かせてもらったけれど、とっても良かった。
日本のYMOとやりたがっていた(笑)。
ビル・ラズウェルはいたってクールだった」

S「嫌いなんだって、流行だからやってるって(笑)」

H「しょうがないなぁ」


「ワールド・フェイマス・テクノ・ポップ」

S「全体に長いのでカットぎみに」

H「大体このアルバムに収録している曲は6分前後」

S「12インチを考えて?。(曲づくりの)やり方は変わってない?」

H「そうだね」

S「ガイドを録って?」

H「とってない、もう使ってないよ」

S「いきなりリズムを5分くらい録って」

H「シンクボックスなしではできない」

S「マニュアルとか解説書は読んでないでしょ。
今は98ですよ。いいソフトが出ましてね。
で、それとリン9000のリズムボックスのないやつに入れ込んで、
98に落として、ステップをエディットして、もう一回かえしてやるとかね」

H「めんどうくさいことやってますね」

S「あとはね、音そのものはとらないでMIDI信号だけ録ってっちゃう。
リン9000をマスターと考えて、3324をスレーブと考えて、
普通とは反対に考えて信号しか録んないの」

H「それって新しいね」

S&H「難しい話してる(笑)」

これって、理解できる人には楽勝の話しなんでしょうね。
この後も機械談義が続きます。
実に興味深い内容です。

H「将来そうなるね」

S「各家庭にさ、発信機があってデータだけで進行するの」

H「それ僕も考えた。でももっと考えている人いると思う」

これって、その後カラオケとかデジタルラジオのことですよね。
そうそう、任天堂のディスクシステムもありましたね。
この辺は詳しい方もいらっしゃると思うので、ここらで話題を戻します。
(突っ込まれても困ってしまうので(笑))

S「ということで、NYなんだけど
ヒップホップはまだストリートという考え方なんだよね」

H「バンバータはヒップホップはまだ元気だと」

S「それは、貧困があるからなのかな?」

H「というか、デジタルヒップホップとして。
YMOとかクラフトワークとか、
あの頃の高揚感を大事にしているんだよね。
だから、そう言っちゃうんだろね」

S「東京にいるとデュランデュランも、
バンバータも、コクトーツインズも、
サイキックTVも同じ平面で聴いちゃうでしょ。
NYなんか、メジャーは超メジャーだしね。
ビル・ラズウェルなんかはレコードなんかは音楽じゃない、
長時間かけて作るのはアホやだって」

H「セッションがいいって言ってた。芸術家タイプ」

S「2月4日、8日大阪城ホールと武道館で
ジェームス・ブラウンを呼んでやるんでしょ。
どうしてジェームス・ブラウンなんですか?。
ソウルの神様だから?」

H「FOEというユニットの準備中なんだけど、
いつの間にかやるはめになってしまった(笑)。
ロッキー4という映画が巷で流行しているし」


「セックス・マシーン」

S「ラップって多いでしょ、言葉が。言葉を作るんですか?」

H「一人ラップ好きがいるから」

S「野中くんでしょ。なかなか達者なものがあるよね」

H「外国人みたいなところがあるね」

S「そうか・・・、英語問題があるか」


ここで出た野中くんというのは、F.O.Eにも参加した野中英紀氏のことです。
ちなみに、YENレーベルから出たインテリアにも参加してました。

S「最近見た映画は?」

H「イヤー・オブ・ザ・ドラゴンとかを見たいと思っている」

S「チャイニーズ系に注目しているよね。
ジャパニーズは古いけど、やっぱりアジアしかないと」

H「チャイニーズヒップホップとかね。
キムチヒップホップはあるけど。
勢いがあるよね。音楽でも経済でも」

S「四年後くらいには追いついて」

H「日本は・・・」


「サンシティ・ダヴヴァージョン」
このレコードは細野さんが持ってきたものです。

S「(F.O.Eが)大阪城でやる時のメンツを発表してください。」

H「まだ、いいかげんな部分もありますが、
NYからアントン・フィアというドラマー」

S「ロック・イット・バンドでやっているドラマー」

H「アイーヴというパーカッション」

S「アフリカ人」

H「この二人をゲストに呼んで日本側から、野中くんがギター、
西村くんがシンセ&ベース、
(越)美晴ちゃんがキーボード」


このライブはかなりひどい条件でのライブだったようです。
ジェームス・ブラウンのソウルあふれる(笑)音楽を期待した人たちに、
FOEのあの音楽は無理だったか・・・。 一応、セックス・マシーンとかやったんだけど。
その後、細野さんは足を折り、休眠に入るのでした・・・。


S「実は僕もツアーをやるんです」

H「おー」

S「ドラムが生でできないという問題が・・・」

H「キーボード主体のバンドはつらいね」

S「あと、吊りキーボードもやらないと思っていたんだけど・・・」

H「(笑)」

S「これからNYに混合バンドのメンバーのオーディションに行くんですよ」

H「それは、F.O.Eと同じコンセプトだなあ」

S「(笑)実は名前も三文字という・・・(笑)これも同じなんです。
ごっちゃにならないかな?」

H「合同バンドでもいいんじゃないの?(笑)」


スレイブ・トゥ・ザ・リズム

H「これも地味ですけど聴き込めば聴き込むほど新しい」

S「ドラムが生っぽいですね、クレジットはないけれど」

S「昨日たまたま本を読んでいたら、規則的ビートが
例えば心臓のビートが規則的になった時は、
非常に生命力が弱くなっているんだって」

H「恐ろしい話がでましたね」

S「で、世界中ほとんど同じビートでしょ。
だから、音楽っていうのは一種のアンテナだから、
生命力が弱まってるんじゃないかと」

H「そうか・・・。実はずっと前からそう思ってました」

S「例えばテクノポップが出始めた頃は、
規則的ビートにドラマーが合わせてたでしょ」

H「悩みながらね」

S「自分のビートがあるけれど、規則的なビートに合わせてたわけ。
だけど、今は合わせるのがあたりまえでしょ。これは変な変わり方だね」

H「これってYMOがいけないの?」

S「もしかしたらいけなかったかも(笑)。
今の子を見るとドラムってのは、
機械でプログラムしてやるっていうのが定着してるでしょ」

H「肉体で叩ける人が少ない」

S「もう一度戻さなけりゃだめかな?」

H「でも、僕たちは、もともと持ってるものを捨ててるわけじゃないから。
YMO初期は一拍子にこだわってたでしょ。いわゆるズレに」

S「ズレって面倒くさいんですよね」

H「今、ズレがいいんですよね」


うーん、すごく素敵な会話です。
細野さんと教授の対談ってとても好きです。
実は全くタイプが違う音楽家なんだけれど、
微妙に重なる部分があるんですよね。
音楽なんか、方法論が違うだけで、見ているものは同じ時があったりしますよね。
ミステリーという部分がやはり二人の間に横たわる
超えられないものなんでしょうね。


S「最近、中沢君と会ってますか?」

H「この放送局のスタジオLに一緒に出ましたよ。
ロボット特集とかやってました」

S「明日のスタジオLには矢野顕子がでます」


スタジオLの初期司会者の一人は如月小春さんでした。
この頃の彼女はとても存在感がある人だったなぁと思う今日この頃です。


「ダンス・ホール」

S「何て言うのかな?ひたすら音量とか、早いとか過剰な方向にいくのかな。
つまりスキマを埋め尽くすということなんだけど、そこにスキマを見つけるのがテーマ」

H「現状をそのまま言うとOTTになるということなんだよね。
明日はどうなるか分からないことをやっているわけ」

S「僕なんか分からないものがなにか分からない」

H「都市に住む人の特徴ですね」

S「地方にいっちゃおうとかね」

H「それは考えますね」


現状をそのまま音楽化したから、やはりあのような音楽になったわけで、
未森さんは未来派野郎(未森さんの一番好きなアルバム)から、
この後肉体的なメディアバーンに行った教授のように、
FOE後期の細野さんの音楽は今ひとつ好きになれないのです。
細野ファンとしては悲しかった時期だ、とのことです。

そういえば、1987年あたりは本当に音楽が面白く感じなかったことを覚えています。
やはり、過剰な状態(OTT)だったんでしょうか。
もっとも、この後、空前絶後のバブル期に突入の兆しがあるわけですが。

S「東京で僕たちの知らないムーブメントが起きていて、
中心があって周縁があって中心に文化が取り残されるという」


「サヨコスカッティ」

S「こういう方がいいですね」

H「今、ソロアルバムをFOEとは別に企画しています」

S「そっちが聴きたいですね。細野さんでした、お休みなさい」


同感です。

ということで、1986年1月28日分のサウンドストリートは終わり。
また、次回の更新をお楽しみに。

そういえば昨日(6月7日)の知ってるつもりで細野さんのお祖父さんが
特集されてましたね。しっかりと細野さんも出てました。
それにしてもゲストのコメントにはいちいち頭に来ました(笑)。


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