放送概要など
この時期、YMOは過去の遺物となりつつありました。
それは、バンド全盛に突入の音楽業界でもそうであっただろうし、
YMOの三人にしてもそう。
それぞれポストYMOを模索している時期だったわけです。
(個人的にはこの時期の教授は若干低迷していた気がします
逆に最も精力的な活動をしていた印象にあるのが細野晴臣でした)
そのせいか、今なぜYMO特集なの?と思ったのが正直なところでした。
実は、サウンドストリートが終了するのだなどとは夢にも思わなかったのでした。
それでは、番組内容をコメントとともにお届けします。
この回は、曲と坂本氏のおしゃべり、音楽業界の方々のコメントで構成されています。
イントロは「コンピュータゲーム、サーカスのテーマ」
「ロータスラブ」
「ぞくぞくする。ビートルズとか独特のバンドノリが感じられます」とのコメント有
そういえば、当時「明星」で世界に通用する音楽はどれかという企画で、
松田聖子のアルバムなどと「浮気なぼくら」も紹介されていたのですが、
そこに登場した外国人音楽評論家が、この曲と「フォーカス」を選んでいました。
当時、「音楽」、「邂逅」あたりが好きだった私は意外でした。
海外の人には感じられる独特なエキゾテックな雰囲気があるのかもしれません。
コメント1(抜粋)・村井邦彦アルファレコード社長(当時)
「動機は世界にいい音楽を紹介したいということ」
「自然発生的なムーブメントになった。期せずして」
「日本の音楽が世界で商業的なものになるという例はかつてなかった。
YMOの続きを誰かが継いでほしい」とのコメントが紹介されました。
それに対して坂本氏のコメント
「細野さんと組んでYMOを言い出した人です。
作曲家であり、最近(当時)映画タンポポの音楽をやってました。
オープニングにも出てきます」
「邂逅」
「重たいもの(曲)が続いたので」とコメント。
「M−16」
「リクエストも多かったけれど、
音が悪くてかけなかった」そうです。
映画PROPAGANDAのエンディング曲であり、
YMO散開後作られた記念すべき曲でもあります。
ちなみに写真記録集「ピリオド」のおまけとしてCD化されています。
(なんでも、このCDがつけたかったがために企画された本だということ。確かにそれは言えますね)
コメント2(抜粋)・高橋幸宏氏
「YMOなつかしい言葉ですね。業界に残したお騒がせというか」
「外国の人達に影響を与え、彼らはスターになりました。少しは役立ったのかな」
「国内では、三人とも現役ですし、三人それぞれのレーベルでがんばっている。
三人それぞれの活動が一つの発展的な意味でのYMOということなんでしょう」
それに対して坂本氏のコメント
「スティーブと作ったシングル、今度かけます」
この曲は「ステイクロース」。ドラムの音が前半と後半では違いますので、ぜひ聞き比べてください。
「今日の空」なんかも前半、カシオのリズムマシーン、後半幸宏さんのドラム攻撃ですよ。
あと、同曲のプロモーションフィルムでは小津作品風の雰囲気が味わえる作品になってます。
「エピローグ」
「ほとんどジェットストリームの世界です。
ウインターライブ(YMO)のペンライトの光を思い出します。
あの頃の少女たちは今どうなっているんでしょう・・・」
と坂本氏コメント
「音楽」
「一番リクエストが多かった曲」
「散開ライブの時、ステージがあがり非常に怖かった。武道館だと約8メートル。
ローディが一緒にのった時、ちょっとしたトラブルがあった。
その時ローディが動いたらゆれた。
それ以来どんなトラブルがあっても自分で対処するということでローディはのせないことになった」
というエピソードがあったそうです。
コメント3(抜粋)・近藤氏(元ALFAレコード・営業)
「青春そのものでした。聞いてますか、坂本さん。
YMOが売れなかった時期から散開まで見てきて、(散開には)感動に近いものがありました。
YMOがあって今のわたしがあります。遠い昔の話だけれど、いつか三人と仕事がしたいです」
との坂本氏のコメント。
「普通のレコード会社にいない人が多かった。特に女子社員は優秀で、英語フランス語抜群
才女が多かった。男は軽いタイプが多かった」ということでした。
最近のアルファはどうなんでしょうか。
ここで「なんで今YMO特集なのか、よく考えて欲しい」と意味深いコメント有。
「パースペクティブ」
「二番目にリクエストが多かった曲。テクノAORという感じ」
コメント4(抜粋)・川添しょうぞう氏(細野さん、村井さん、そして彼がいなかったらYMOはなかったのでは)
「日本のアーティストで海外のしっかりしたレコード会社で出した最初で
最後のバンドじゃないかな。逆輸入の形で紹介、日本でフィードバック現象が起こった
世界ツアーも好評。普通聴衆は日本人という傾向があるが、九割が海外のリスナーだった
グローバルに成功を収めたバンドでした」
坂本氏いわく「業界では非常に有名な方」だそうです。
「キャスタリア」
「パースペクティブとこの曲と坂本の曲が続いたけれど他意はありません。
ちょっと地味ですね」とコメント。
「東風」
「こういう名前のチャイニーズレストランもありましたね」
ちなみに、このレストランでサウンドストリートの収録が行われました。
1982年のYMO特集のこと。この回については後日テープ起こしいたします。
コメント5(抜粋)・奥村ゆきまさ氏(装丁デザイナー)
「YMOにかかわったのは増殖から。
これはコマーシャルに連動した企画で、彼らは危機感を持ったんですね
これからのYMOをどうするか、作られつつある自分たちから脱するために
今までできなかったこと、これからできないこと、実験的なことをするために
私は呼ばれたんだと思います」
「本職は装丁家です。ウインターライブでADC賞を受賞しました」と坂本氏コメント
「体操」
「ビデオTV−WARでも高橋幸宏氏の掛け声をサンプリングしている。確認してください」
この企画は、坂本龍一氏、浅田彰氏、ラジカルTVが行ったTV革命。
つくば博のソニージャンボトロンを使った大規模なイベントでした。
コメント6(抜粋)・細野晴臣氏(音楽家)
「今、思うと長かった青春時代を過ごしたバンドでした。
特に坂本氏はバンドで過ごした初めての体験。
二人ともYMOで成長したという感想ですね
コンピュータを使ったり、ドラムマシーンを使ったり初めてのことだった
若い人にどれだけの影響を与えたのか気になります。
今、休暇をとっています。皆さんも休んだ方がいいです
後半忙しい・・・」
うーん、重いですね。コメントが。
修羅場を通り抜けた者のみが知るコメントという気がします。
ということで、最後のコメントはやはり、坂本龍一氏
「YMOは音楽的に深いバンドだった。
・・・YMOにあわせてこの番組をやってきたけれど、
それにあわせてそろそろ引き際じゃないかなと思っている」
「ビハインド・ザ・マスク」
「というわけでおやすみなさい。この言葉もあと何回だぞ(笑)」
今にして思うと、この時期に番組を終了してよかったのかもしれません・・・。
結局、最後までプロDJに徹しなかった坂本氏でありました。(それが好きだったんです・・・)
「 」内は放送中の坂本龍一コメント
それ以外は榛野まなみ(アルコ堂)の注
|