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生田朗(いくたあき)のページ


生田朗氏にかかわる記事1

1987年音楽之友社発行
・テッチー3月号から
世界的ミュージシャン・ネットを考える生田朗は
音楽界のコーディネーター
坂本龍一のコンサート・ツアー「メディアバーン」では コンストラクター&ロードマネージャー。 高橋幸宏の最新アルバム「・・・ONLY WHEN I LAUGH」では ジョーク・オペレーター。
そして過去にはYMOのマネージャーとして、 僕たちの前に見え隠れする謎?の人物、生田朗。
今回は、その生田朗に彼の仕事について聞いてみた。
生田朗氏は、フリーのプロデューサー、そしてコーディネーター。 現在は、JFNの「ミュージック・ワークショップ」という番組の DJも担当されている。
その番組の企画書に掲載されている氏のプロフィールを眺めてみると、 氏がどれほど日本の、それどころか世界の音楽シーンに 深くかかわっておられるかが読み取れる。

(1954年11月24日横浜生まれ。慶応大学卒業後、山下洋輔の事務所に入社。 1975年頃、山下達郎、大貫妙子、坂本龍一のマネージャーとなる。 1980年、YMOのマネージャーとなり、ワールドツアーに同行。 このツアーにおいて、各国の有名アーティストと親交を深める。 1981年、フリーのプロデューサーとコーディネーターとして独立。 渡辺香津美、向井滋春、清水靖晃、高橋幸宏などの作品にかかわる。 特に交流のあるミュージシャン・・・ビル・ラズウェル、 マーカス・ミラー、ルーサー・バドロス、ブレッカー・ブラザース、 スティーヴ・ガット・・・ほか多数。その他ニューヨークのスタジオや、 ミュージックシーンなどに精通している)

また生田氏はハービー・ハンコックの「ロック・イット」が大ヒットした当時、 プロデューサーのB.ラブウェルにベーシックを使ってもらい、 「イラマゴ」という名義で日本語のラップ・レコードも作っていらっしゃる。

昨年の幸宏バンドの外人メンバー、教授のメディア・バーンライブの メンバーの発掘、交渉も生田氏の仕事である。
例えばメディア・バーンの時は、まず教授からイメージ・スケッチ風のリストが届く。 「小柄で中国二世のニューヨーカー」とか「酒を飲むと大暴れするロックのドラマー、 でもしらふになるとやたらリズムがいい」というふうに。
こんな荒唐無稽なアイディアから、しかも限られた予算内で、 具体的に優秀なミュージシャンを探すのだから、 なかなか大変な仕事である。

コーディネーターの仕事の際、生田氏がしばしば利用しているのがパソコン通信だ。
「僕はIMCの会員になってるんだけど、 これはNYとシドニーとロンドンに親コンピュータがあってね。 IMCというのはインターナショナル・マネージメント・コミュニケーションって言って、 音楽関係者だけのシステムなの。トーマスドルビーとか ミュージシャンもいっぱい会員番号をもっていて、 プロの業界人ばかりだから名刺がわりになるのね。
いきなりミュージシャンにコンタクト取ってもダメだけど、 例えばピーターガブリエルもゲイブリエルUKっていうのを持ってて、 メールしておくと、必ず返事をくれる。
面白いのは、オンラインを調べると、誰が使ってるかがわかるのね。 さっき、デビッド・バン・ティーゲムが使っててさ、 そうするとテレックスと同じでリアル・タイムに交信できるんだ。
あと、フェアライト・ニュースというのがあって、 オーストラリアのフェアライト社が最新情報をどんどん流してくれる」

そんな生田氏には、現在2つの大きな夢がある。
「今度ビル・ラズウェルとレーベルを作るんだけど、 それはアジアのポップスを少し見つめてみようってレーベルで、 アジアの音楽の中から面白いものを探して出してきて、 それをレコード化して、ワールドワイドに展開していくのが僕らの夢なのね。
あと驚異のネットワークを作ろうっていう話があってね。 それは瞬時にして、世界中のミュージシャンのスケジュールとか、値段が分かる。 今はそういう事で時間を食いすぎて、ずいぶんクリエイティブな部分に支障を きたしていると思うから。
NYはすでにIMCを使って、 それに近いネットワークが作られている。 距離がなくなってきているし、間に変な人が入ることもなくなった。
あとはヨーロッパとアフリカ、そしてアジア。 だから今、そのソフト作りをやっているんだ」

(文/佐俣正人)



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