メディア日記
このページはその日体験したメディアを紹介するものです。
CD
「坂本龍一 the very best of gut years 1994-1997」
FLCG3035・発売日98.4.22
3月にもベストアルバムを出したばかりの坂本龍一氏。
(もっともヴァージンレコード時代の作品の集大成ではあったが)
今回はグートレーベルでの活動を集大成したもの。
ほとんどの曲については興味はないのだが、最近の曲には興味がある。
収録されている「1919」「jungle live」といったミニマル曲には、
過去の坂本作品にあったテクノ感覚が確実にあると思う。
非常に抽象的ではあるが、テクノとはシンセサイザーを使用していることではなく
曲の根底にある精神こそがテクノであるといったらいいのだろうか。
個人的には、やはり前記のような実験的な手法で作られた曲が聴きたい。
とはいうものの、
1曲目の「A Flower iS Not a Frower」、
11曲目の「Floating Along」といった曲も捨てがたいのだが・・・。
今日の結論:早くオリジナルアルバムが聴きたいです。
CD
「メタルサーヴィス/イエロー・メタル・オーケストラ」
ALCA5228・発売日98.2.25
YMOの名曲の数々をメタルアレンジしたアルバム
収録曲は「ライディーン」「キー」「君に胸キュン」「ナイスエイジ」「マス」
「中国女」「フォーカス」「東風」「ビハインド・ザ・マスク」「テクノポリス」。
メタルには全く興味がないのだけれど、YMOということで購入してしまいました。(またアルファレコード商法に・・・)
内容的にうんぬん言うのは避けますが、(まさかつまらないとも言えないでしょう(笑))
ただ、一つだけ発見がありました。
それは、細野晴臣作品が妙にメタルと合うということ。逆に教授作品は?という感じ。
細野さんの作品はギター中心の音楽の方がいいのかもしれないです。
やはりポップス黄金時代を過ごした人は、ポップスのコツをつかんでいるのでしょうか。
単純な曲なんだけど、メロディは美しいということなんですね、きっと。
今日の結論:ブラスバンドアレンジのYMOを聴きたいな。(アルファさんへ)
CD
「ディファレント・トレインズ/スティーヴ・ライヒ」
WPCS5053・発売日96.10.10
「いちばんつまらない影響のかたちは、非西洋音楽のひびきをまねることだと思われる。
たとえば自分の音楽に非西洋楽器をつかったり(ロックバンドのシタール)、
自分の楽器を非西洋楽器のようにひびかせようとすること(電子音の持続低音の上でインド風メロディをうたう)。
この方法は非西洋音楽ととりくむいちばんかんたんで表面的な方法だ」
私の敬愛しているマーティンデニーやレスバクスターなんかを批判しているのがはっきり分かる文章ですが、
私は、この文章を書いたスティーヴ・ライヒの言いたいことは十分に分かる。
彼はまた、
「そうではなく、非西洋的構造の知識によって構成した自分の音による音楽をつくることもできる。
非西洋音楽のリズム構造を研究し、自分の育ったところの楽器や音階や音響をつかいながらも、
この研究の結果生まれるものにまかせて見ることもできる」
ともしています。その結果として、
「こうして、非西洋の影響が考え方にあり、ひびきにはないというおもしろい状況がでてくる。
これはより本物でおもしろい影響のかたちだ」
と書いています。
だけど、両方好きなんですね、私は。構造を引用する方法も、表層的な響きを引用する方法も。
いわゆるミニマル音楽もエキゾティックサウンドも。
それは、どちらもここではないどこかに確実に誘ってくれる音楽だからなのです。
このアルバムのこの曲は、戦前のアメリカ、戦時中のヨーロッパ、戦後というヨーロッパという三部構成に沿った曲。
楽曲的には、あらかじめ話し言葉の断片と汽車の音、サイレン、
そして弦楽四重奏の演奏を組み合わせて録音したテープを流しながら、弦楽四重奏を生演奏していくもの。
雰囲気としては、坂本龍一氏の「1919」に似ている。
ミニマルミュージックはテクノやアンビエント、YMOが好きな人は絶対好きになると思います。
意識も高揚するので絶対おすすめしたいのでした。
キーワードは、どこかに連れていく音楽を探せ!です。
「 」内引用はトランソニック9号「バリとアフリカの短期間の学習をふりかえって/スティーヴ・ライヒ」
今日の結論:分かりやすい現代音楽もあるんだなぁ。
CD
「エコー/遊佐未森」
TOCT-10191・発売日98.2.11
「スコットランドの大きな空の下、
かけがえのない音たちを紡いで織りあげたやわらかでのびやかな響き」
同CD帯のコピーより引用
今回の彼女の音楽をこれほど適切に表現したコピーがあるだろうか?
東芝EMIに移籍第一弾のこのアルバムは、過去のどのアルバムよりも、彼女の今を表現しているのだという。
遊佐未森の一番の不幸は、彼女に対する認識ではないだろうか?。
例えば、コアなファンには未だに「ハルモニオデオン」に代表するようなイメージ、
つまり、「森の奥深くで歌っている自然派の未森嬢」というイメージが根強いし、
一般的な音楽ファンには、「よく分からない歌詞の歌を歌う不思議な存在の人」というイメージがあると思う。
それを払拭するために、ここ何作方向転換を試みているのだが・・・、
本作ではまだ、エピック時代を引きずっているような印象をうける。
とはいうものの、本作中の何曲かは、新しい遊佐未森が見られるようにも感じられる。
「ミラクル」、「バースデイ」といった曲には、(特に前曲のアレンジはほとんど高橋幸宏)その影が見えている。
デビュー10年、デビューアルバム「瞳水晶」で聴くことができた、あの勢いを再び体験したい。
今日の結論:遊佐さん結婚おめでとうざいます。
5月21日は仙台青年文化センターで、5月24日はNHKホールで会いましょう。
両日のコンサートを楽しみにしてます。
CD
「マーニー・オリジナルサウンドトラック」
TCI0601・発売日94
アルフレッド・ヒッチコックの最高傑作は、「北々西に進路を取れ」だと思っている私だが、
こと、音楽となるとこの「マーニー・赤い恐怖」を評価してしまう。
国内盤はもちろんのこと、長らく輸入盤でも出ていなかった・・・と思っていただけに、
偶然、このサントラを発見した時には感激。
さて、1964年製作のこの映画、ヒッチコック作品中では、マイナーな作品。
映画の概要は「盗癖がある妻と、彼女を救おうとする夫の心理的葛藤を描いた、
ヒッチコック一流のサイコ・サスペンス」。
内容は、「求人広告を見てやってきた若い女は逃亡中の女泥棒だった。
ショーンコネリー演じるところのマークは、それを知りつつ彼女を雇い、やがて二人は結婚するが・・・」
というようなもの。
音楽はヒッチコック作品常連のバーナード・ハーマン。
彼についてはエピソードがあって、坂本龍一氏がラストエンペラーの音楽を作る際、
監督のベルトルッチにハーマンの映画音楽「市民ケーン」を参考に音楽を作ってくれ!
といったのは有名な話。
それゆえに、彼の映画音楽は映画音楽の基本と言われることが多い。
では、この映画音楽の中のどの曲がいいのか?ということだが、
メインテーマの後半部分で、サントラの中でもバリエーションを変えて何度も登場するメロディアスな曲がいい。
映画では、ヒロインが乗馬するするシーンに使われるのだが、
その絵と音楽とがあまりに合致して、ストーリーよりそのシーンだけ記憶に残るという結果となっている。
引き裂かれたカーテンで決裂するまで密月が続いたヒッチコックとハーマン作品。
その他のコンビ作品も非常に良いので、ぜひお薦めしたい。
今日の結論:サントラ輸入盤は見つけたらすぐ購入しましょう
CD
「アンティ・フルール/門あさ美」
CA32-1412・発売日1987.4.6
高橋幸宏氏の不幸な部分というのは、今の活動に対する評価ではないだろうか。
確かにYMOや、ニウロマンティック、WAHT,ME WORRY?時代の高橋幸宏氏はかっこいい。
自作の詞にしろ、独特の曲調、そしてロンドンの最新音楽に対抗できるような編曲の技。
それらが、微妙に絡み合って彼独特の世界を作り出していたと思う。
この時期の高橋氏の音楽というのは、今もっと評価されてもいいのではないか?
ところがである。
今、彼が作り出している音楽に対する評価はどうなっているのだろうか?
大人の音楽?。彼にしか作り出せない音楽?。本当だろうか?
確かにかつての彼の音楽が好きだった者にとっては辛いものなのかも知れない。
・・・期待がかかるのである。かつてのYMOだった三人には。
それだけYMOは巨大であり、第四の人格を持つがごとくにまで成長してしまったのだから。
しかし、それは彼のソロアルバムに限ってのことである。プロデュース業ではどうだろう?。
実は、彼の音楽は他者に提供した場合にこそ、生きるのではないか?。
表題のアルバムはそれが顕著に表れている。
門あさ美のはかない声と高橋幸宏氏のロマンティックな曲と上品な編曲が、
このアルバムを四月の風のような心地よいものにしている。
もちろん、その結果は、プロデューサーである高橋氏の力であることは言うまでもないのだが。
つまり、品があるのだ。高橋作品には。
ちなみに、この路線は一応の成功を得たようで、翌年には「ラ・フルール・ブル」が発売。
彼女の最後のアルバム(1998年現在)として有終の美を飾っている。
(ちなみに、後者のアルバムには、YMOが作曲した小池玉緒歌唱の
「鏡の中の十月」がタイトルを変更して収録されている)
最近の音楽チャートに失われている品というもの。
その復活のために高橋幸宏氏には今一度奮闘していただきたい。
今日の結論:とはいうものの、高橋氏のソロ関係、グループ関係(初期ガロは除く)は全部持っている。
CD
「タイタニック 運命の音楽に捧げられた音楽/
ザ・ホワイト・スター・オーケストラ」
AMCY-2458・発売日97.12.15
映画タイタニックが嫌いである。
映画自体は二回見たし、(しかも二回別の日)特撮もすごいとは思う。
アカデミー賞だって取れるばすだ。
だけれど、どうしても好きにはなれない。
何が嫌なのか?
それは、フィクション部分についてだろうと思う。
やはり、事実は事実として残しておくべきであり、
事実にない創作をつけ加えるのは、
タイタニックで亡くなった人、関係者に対する冒涜以外の何物でもない。
(もちろんこれを娯楽ものとしてみた自分に対してもそう思う)
そういう意味で、このアルバムはどうなんだろうか?
これはタイタニックと運命を共にした楽団「ホワイト・スター・オーケストラ」のレパートリーを
克明に再現したアルバムである。
宮澤賢治はタイタニック号が沈没する時に演奏されていた最後の作品を、
「主よみもとに近づかん」の中の「オートン」だったと童話の中で紹介しているが、
最後の目撃者であるラジオ無線のオペレーターは「オータム」だったと証言している。
このアルバムでは、「オータム」が最後だとして再現演奏を収録している。
便乗商品といわれる類いのアルバムではあるが、
映画タイタニックの何倍も泣けるのはなぜなんだろうか・・・。
タイタニックといえば、ギャヴィン・ブライヤーズのアルバム、
「タイタニック号の沈没」についても触れない訳にはいかないだろうが、
それは、後日の紹介ということで。
実は、彼のそのアルバムを何年も前から聴いて、
自分なりに沈没するタイタニックを幻想的にイメージしていたので、
今回の映画にかなり頭にきたのかもしれない。
つまり、個人的なイメージがぶち壊された恨みだろうか。
それにしても、映画タイタニックのサントラは最悪だった・・・。
今日の結論:ここで細野晴臣さんのおじいさんが助かっていなかったとしたら・・・YMOは・・・
CD
「タイタニック号の沈没/ギャヴィン・ブライヤーズ」
VICP-104・発売日1990.
昨日に引き続き、タイタニック号関連のCD。
この曲は船が沈んでいく時に船上で楽団が演奏を続けていたとされているある曲と、
その事実が、音楽で想像上は可能である、というブライヤーズの意図によって作られたもの。
「オータム」と「オートン」双方の曲が交差されながら、何度も反復、
水の音、船のベルの音、人々の声などの効果音がちりばめられながら、
今世紀最大最悪の航海事故が音楽によって再現される。
75年版では三つのバイオリン、二つのチェロ、一つのダブルベースという構成で演奏されたが、
90年版では、二つのビオラ、ダブルベース、パーカッション、ベースクラリネット、テナーホルンといった
異なった編成により、演奏されている。
目を閉じてこの曲を聴くと、船の沈没という絶望的な状況下、
最後まで、演奏を続けた楽団と、それを聴いた人々の心境を想像すると、
悲劇な事実ではあるが、一種感動的な状況が想像されるではないか。
この姿勢は、1,000人以上にも上る死者への鎮魂の姿勢である。
過激なまでの静けさに包まれた音による鎮魂。
この部分が映画タイタニックからはすっぽりと抜けていたのだと思う。
このアルバムは鎮魂のアルバムであるのだ。
追伸・その後、97年にも同曲の短縮盤がリリースされている。
ちなみに日本盤ではエィフェックス・ツインがリミックスを担当している(!)。
今日の結論:死者に対して敬意を示しましょう。