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メディア日記2001年08月下旬へ
メディア日記2001年09月中旬へ
| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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CD 「胸がふくらみ戸惑うことと、白髪が増え戸惑うことは同じかなあ(あららら、あららら/こなかりゆ)」 こなかりゆの言葉は優しさにあふれている。 その優しさは自分自身も含めて、周囲を常に客観的に 傍観者的な視線から眺めているということから生まれているのではないか。 彼女の音楽は日常を歌いながら日常の先にあるものを常に見据えている。 例えば人間はいつか老いる。 生き続ける限り避けることができないその事実を人は認めたがらないし、意識せず生きている。 それゆえに刹那的な生き方ばかり提示している出来事のなんと多いことか。 だが、彼女の言葉の数々にはその恐れなど微塵もない。 それは前記の歌詞もそうだし、「おばあちゃんは、ずっと女の子、白髪になっても、 背中が曲がってきても女の子は女の子(おばあちゃんは女の子/こなかりゆ)」 という歌詞もそうだ。老いることなど怖くはない。怖いのは老いるということを肯定せずに生きるということ。 もっとも客観的に物事を捉えつつ、あくまで日常から離れない彼女の優しさがいい。 戦争も環境破壊も人間がいる限りなくなりはしない。 ならば日常で静かに過ごすということの意味を一人一人が探した方がいいのではないか。 日常に流されないように未来を見据えながら…。 最後に次の歌詞を引用しておこう。共感できる人は多分幸せになる権利があるはず。 「この星は男と女でできてる。いつか恋して自分より大事な誰か、見つける(ミニチュア・バービー/こなかりゆ)」
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月01日分 ・本日の発掘〜
CD「Riyus Album/こなかりゆ」
・アルコ堂主宰者的日常〜 今日もやはり日常とは違った経験ができたような気がする。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜181,111アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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CD 時としてアーティストの持つ力が最大限に発揮されたアルバムが作られることがあるが、 本作品はその意味でムーンライダースの音楽的頂点で彼らの最高傑作だと思っている。 (この件については何度もメディア日記で指摘しているところだが) 単純に言えば、内に秘められている狂気が外にあふれ出てしまった作品というところ。 「マニアの受難」をはじめ「何だ?この、ユウウツは!!」「だるい人」「超C調」等など、 恐ろしいまでにタガが外れてしまっている。十数年経過しているのにもかかわらず、 聴くだけでユウウツな気分になれるのはある意味素晴らしいことではないか。 しかし、音楽が非日常を体験させてくれるメディアだと仮定するならば、 このユウウツな気分こそ、音楽がもたらしてくれた一つの非日常体験といえる。 音楽を聴くことで、ここではない何処かに連れ出される体験が出来ることと、 ユウウツな気分になれるということはある部分、つまり非日常体験という部分で共通するのではないか。
逆に何も与えるものがない音楽こそ、罪深いものかも知れない。
音楽で人は救えないが、音楽に何かを感じることはできるはず。
というわけでまた「ドント・トラスト・オーバー・サーティー/ムーンライダース」を聴くのだ。 日常で極力感情を凍らせながら…。
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月02日分 ・本日の発掘〜
特になし
・アルコ堂主宰者的日常〜 休日は一人がいい。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜181,336アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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CD
昨日に引き続き、本CD。 果たしてこの30年あまりの歳月が正しかったのかどうかは分からないが、 自分なりにネットをはじめてからの数年は充実していた時間を過ごすことができた、 と言い切れる。 もっともその前の10年ほどの情報の蓄えの期間があったからこそでもあるのだが。 その期間がなければここまで充実した歳月を過ごすことができたかどうか、疑わしいものがある。 つくづく思春期にネットが普及していなくてよかったと思う。 蓄えがない時期に蓄える余裕がないままに、 自分自身を吐き出してしまったのでは、 自分自分自身が枯渇してしまうのが目に見える。 あるいは持ち上げられて自分自身に勘違いするかどうか、というところか。 今の時期、ネット経験できて本当によかった。常に客観的に物事を見ることができるから。 余談はさておき、「30歳以上は信じるな」ということについて。 結果的に意味がない言葉ではないか。カウンターカルチャーが生み出した時代の言葉ではあるが、残念ながら 「30歳以上でも信じられる人は確実に存在しているし、 逆に若い世代に信じられない人間も確実にいる」ということ。 同時に「裏切る身内もいるし、信頼できる他者もいる」ということ。 ある意味で実はこの言葉の裏にあるものは、全ての人間に対する辛辣かつ過酷な言葉なのかもしれない。 「30歳以上を…」「すべての人間を…」に置き換えてみてもいいのかもしれない。 ムーンライダースのアルバムは当時30歳を過ぎてしまった 彼らからのそんなメッセージアルバムとして自分自身に今確かに届いた。 発売後15年の歳月が経過して分かることもあるということ。 そしてそのメッセージを自分は誰にどんな形で伝達することができるのか、 また暗中模索することになりそうな、そんな予感がしている。
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月03日分 ・本日の発掘〜
パンフレット/ピアノ・ナイトリー/矢野顕子
・アルコ堂主宰者的日常〜 今日もオークション、明日もオークション。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜181,586アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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CDS 「眠れなかった昨日の夜はもうどうでもいいこと こんなに晴れた日曜日元気になる」 「せつなくて でもひとりじゃない」「しあわせなときはまたくると そう信じてる」 元気を無理やり喚起するメッセージソングがあるけれど、 自分自身の心の奥底に耳をすましていれば、そして自分自身を信じていれば、 元気なんて自然に取り戻すことができる。 もっともその自分の心の奥にあるものはほんの小さなもので、 日常をぼんやりと過ごしただけ、日常に追われたままでは見落としてしまうようなもの。 それを見つけ出すためには少しだけ周囲を見回す時間が大切。 例えば夕日を見ながら感傷的になること、 月明かりの道を一人歩くこと、 ぼんやりと静かな気持ちで音楽を聴くこと、 風の冷たさを頬で感じること、 自分を見守ってくれる人を見つけ出すこと…。 インスタント・シトロンの音楽は そんな自分の心の中にある小さな何かを取り戻すきっかけを作り出すような音楽。 劇的な日常をおくらなくても日常の些細な出来事だけで人は自分自身の心を救える。 なにより自分自身が救えなくて他者など救うことなどできるはずもない。 忙しい日常。一日たったひとつだけでいい、自分の心に届く何かを見つけ出してみよう。 一ヶ月で30個、一年で365個、心が豊かに、なによりきっと心が軽くなるはず。
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月04日分 ・本日の発掘〜 特になし
・アルコ堂主宰者的日常〜 人なんか救えない。でも共に考えていくことはできる。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜181,808アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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MUSIC 昔から熱い歌い方、熱い音楽が今ひとつ好きになれない。 この場合の熱い音楽、とは…、 特定の名前を出すのは差し支えがあるのでまずは控えておこう。 もっともそういう歌い方の方が一般的にうまく聞こえるし、 感情がこもっているように感じられるのかもしれないが、 アルコ堂主宰者にとってはただあつくるしいだけ。 もっと淡々と囁くように歌ってもいいのではないかと思うことが多い。 そういう意味で、カヒミ・カリィ、フラット・フェイス、インスタント・シトロン等などは、 自分の趣味に合っているアーティストといえる。基本的にウィスパー系ボーカルは問題なく好きなので。 ただし、それはメンバーによるアルバム解説を読むまでの話。 ボーカルの片岡さんによる解説によれば 「普段ソウルフルに歌っているにもかかわらず、何故かウィスパーだと言われる」 とある。実はこの言葉に少々ショックを受けた。 つまりアルコ堂主宰者が認識していた「ソウルフル」と、 片岡さんのいうところの「ソウルフル」の正体は全く違っている、ということ。 表現方法が熱い「ソウルフル」と、内面が熱い「ソウルフル」。 インスタント・シトロンはもちろん後者に属するわけで、 実はここが音楽にとってツボとなる部分ではないか。 一聴してインスタント・シトロンの音楽はクールでおしゃれにしか聴こえないかもしれないが、 奥に秘めているものは熱く激しいものがあるということなのかも知れない。これこそ過激な表現といえる。 まずはインスタント・シトロンの音楽に少しだけ触れることをオススメしたい。 何が「ソウルフル」か、何が「過激」なのかがきっと分かる…はず。
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月05日分 ・本日の発掘〜 特になし
・アルコ堂主宰者的日常〜 沈黙ほど多弁なものもない。意味のない言葉を百回重ねるより分かり合える。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜182,037アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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CDS ますます音響派、という雰囲気が漂っているインスト曲、ではあるが…。 こんなに趣味に走ってしまって大丈夫なんだろうか?。 個人的にとても好きな音であるのだが、いささか心配になってしまう。 もっともこの音がスタンダードになってしまえば問題ないが。 もっともこの感慨はフリッパーズギターオリジナルラストアルバム「ヘッド博士の世界塔」を 初めて聴いた時の気分にも似ている。これはひょっとして…。 それにしても今回の仕様には驚かされた。 ジャケットサイズが非常に小さく、一曲収録500円という価格設定。しかも情報はタイトルのみという潔さ。 この形態を採用したことでニューアルバムに対する期待感が大いに高まっている。 いわゆる情報の飢餓状態というところ。 音だけが提示されて、あとはそれぞれが勝手に未知なる音を想像できるという楽しみがある。 この想像する気持ち=期待感というのが個人的に音楽を聴く時求めている要素の一つであるのはいうまでもない。 新アルバムが発売される以前に音が想像できて、実際の音が想像通りではつまらない。 新譜を実際に聴くまでに想像している音、そして実際に聴いた音とのかけ離れ度が広ければ広いほど、 音楽そのもの以上にその差異自体を楽しむことができる。 自分が求めている音、新しい音というものの正体は、つまりそういうものなのだ。 だからCDを購入すること、新しい音楽探すことが止められないのかもしれない。未知なる期待を胸に秘めつつ…。
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月06日分 ・本日の発掘〜 CD「POINT OF VIEW POINT/コーネリアス」
・アルコ堂主宰者的日常〜 私生活の充実と仕事の充実を比例させたいものです。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜182,281アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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CDS 西村由紀江さんの認識度というものについて考える機会があったのだが、 これだけ様々な媒体(昨年だけでもテレビ出演のなんと多いこと)に登場しているのにもかかわらず、 西村認識度は恐ろしく低いのではないかと思う。 これは彼女自身というより、(何度も書くが)宣伝サイドの問題という気がするため、 深く追求しないが、彼女の音楽にとっては非常に不幸ではないか。 癒しブームというのは基本的に嫌なブームだったと総括してしまうが、、 彼女の音楽をあのブームの渦中にもっとバックアップしてもよかったような…。 国内での認識度を高めるにはもう少し工夫が必要なのだろう、きっと。 ところで本CDは「101回目のプロポーズ」「親愛なる者へ」「moon」から数曲ずつ抜粋して収録しているアルバム。 CDカタログを見ると様々なメジャーアーティストと並んで西村作品がCD化されているということは、 海外での西村由紀江認識度というものはかなり高いということなのかもしれない。 そういえばアジアのアーティストとの共演アルバム「Blue Horizon」も存在している。 ここは海外に、というパターンも有効なのだろうか。 それにしてもあまり大きな声でいえないが、 この海外版CDは日本サイドの了解を得て発売しているのだろうか。 少々不安要素を残しつつも、ここは海外発売を素直に喜んでおくべきだと思うのだが…。
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月07日分 ・本日の発掘〜 特になし
・アルコ堂主宰者的日常〜 疲れはその日のうちに解消したいもの。累積する疲れは簡単に解消することなどできはしない。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜182,281アクセス
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