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メディア日記2001年09月上旬へ
メディア日記2001年09月下旬へ
| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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CDS 1993年といえば、散開騒動から一年、YMOが一時再生した年。 テクノが様々な形態で復活、大抵の音は心地よく耳に届いたが、 むしろ一般的にバブルなテクノサウンドが全盛を極めていたような印象がある。 自分はといえばテクノはもちろん聴いていたが、 むしろ環境音楽やアンビエントばかり聴いていて、 いわゆるポップな音楽からは離れていた、そんな時期。 いまだに環境音楽やアンビエントを聴いているわけで、 いかに自分の音楽的な嗜好と合致していたかが、分かるというもの。 そんなテクノ復活期に電子音も使わず、 いわゆるポップな音楽にこだわりつづけていたのが、 インスタント・シトロン。お気軽な曲に見えて実は深いというのは 現在と同じだし、片岡ウィスパーボイスの魅力も全く変わっていない。 あえて言うならば「若さ」がある、というところか。 「ポップなものには必ず毒がある」というのが自分自身の持論だが、 「ポップなものは普遍性がある」ということも持論に付け加えよう。 暴力で人を屈服させることが憎しみだけしか生み出さないのならば、 自らが体得した思想で人を変えることこそが実は過激で有効な手段なのかもしれない。 時間こそかかるかもしれないが、自分は後者を選択したい。確実に自分の意志が届く方法を。 年末には新譜リリースも予定されており、 今後の展開が実に楽しみな「インスタント・シトロン」。 アルコ堂では全面的に支持したいと思っている。
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月11日分 ・本日の発掘〜 CD「BABY,YOURE LOVE/インスタント・シトロン」
・アルコ堂主宰者的日常〜 休日モード。パソコンから完全に離れた。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜183,301アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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music おもちゃの楽器のみで構成された曲。 おもちゃとはいっても演奏するミュージシャンの力量が問われるわけで、 馬鹿にすることはできない出来に仕上がっている。 しかも片岡ウィスパーヴォイスがこの曲と非常によくマッチしている。 インスタント・シトロンの音楽が持つキュートな感覚が最大限生かされているような気がする。 ところでおもちゃの楽器といえば、80年代中期ピエール・バルーのコンサートで ムーンライダースの面々のおもちゃ楽器による演奏が印象深い。 演奏曲は「おもちゃのチャチャチャ」だったように記憶しているが、 生演奏でぜひとも聴きたかったというところ。 またYMOも「君に胸キュン。」でおもちゃの太鼓をドラム代わりに使っている。 また、海外に目を向ければパスカル・コムラード、 アルコ堂主宰者が敬愛してやまないクリンペライなど、 おもちゃの楽器を積極的に自らの音楽に取り入れている音楽家たちも多数存在している。 結局のところ、シンセサイザーだろうが、生楽器だろうが、おもちゃの楽器だろうが、 音楽の優劣に全く影響することはない、ということ。 音楽家が音楽を作り出すという意志こそが重要であり、 受け手である我々はその意志を汲み取る意識さえあればいいということだろう。 送り手も聴き手も音楽を楽しむという姿勢をなくしては音楽そのものに全く意味がなくなってしまう。 徹底的なマーケティングにより自らの音楽の方向性が変えられてしまっている音楽家たちのなんと多いことか。 坂本龍一氏がNHK教育「YOU」で話していた「(音楽を作り出すためには)なにをしてもいい。楽しければそれでいい」 という言葉が全てを語っているような気がする。音楽=音を楽しむ、その意識で音楽を聴いていきたいもの。
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月12日分 ・本日の発掘〜 特になし
・アルコ堂主宰者的日常〜
http://www.sitesakamoto.com/
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜183,499アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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music インディーズアーティストによるコンピレーションアルバム第二弾。 例により群を抜いてインスタント・シトロンによる楽曲のクオリティーが高い。 いかにもバンドサウンドという中にあって、 ポップなるものに対する彼らのこだわりが嬉しい。 ここに収録されている「AFRO BLUES COMBO」は、 フリッパーズ・ギター「1990サマービューティー計画」と、 スタイル・カウンシルが好きな向きにはたまらない曲に仕上がっている。 引用という言葉は誤解を招くこともありここでは使用したくはないが、 音楽的に良質な部分が引き継がれている、という解釈をしたいところ。 それにしても何故ここまでインスタント・シトロンに肩入れするのだろうかと自分でも思うことがあるのだが、 結局のところ、聴けば聴くほど味が出てくる音楽であり、 聴きこむことで影響を受けた音楽が見えてくるという部分に 魅力を感じているということに他ならないのではないか。 いわば、聴き手側が学習出来る音楽だということ。 彼らの音楽を聴き、影響を受けた音楽をたどっていくうちにポップスが持っているマジックに気がつく、 というわけだ。そのマジックに気がついてしまったが最後、もう戻れなくなるわけだが。 そんな魅力が隠されているのがインスタント・シトロンの音楽ではないか。 残念ながら廃盤が多いが、ぜひとも探して一聴することをオススメしておきたい。
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月13日分 ・本日の発掘〜
CD/The Birth Of The True
・アルコ堂主宰者的日常〜
実際の距離が離れていても心が近く感じられることと、
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜183,722アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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CD 音楽をずっと(聴き手側の立場として)聴いているわけだが、 時として優れた音楽家に出会うと同時に、優れた音楽家たちが集合するレーベルに出会うことがある。 いわゆる似た傾向を持つ音楽家たちの梁山泊のような場所。その場所を見つけ出すことができれば、 あとはそのレーベルのカラーが変わるか、もしくは解散するまでただそのレーベルが生み出す音楽に 触れているだけでいい。その間は至福の時間を過ごすことになるのだ。 それは例えば70年代のパナムだったり、 80年代の¥ENであり、ノンスタンダード だったりするわけで、残念ながらパナムはリアルタイムでは体験することができなかったものの、 それ以後の突出したレーベルと、レーベルに所属する音楽家たちが生み出した音楽を、 ほぼリアルタイムで聴くことが出来たことは幸せなことだったように思う。 そしてその終焉を見届けることができたことも…。 「S!(スイートスプエストレーベル:以下S!)」は残念ながら、 リアルタイムで体験することができたというわけではない。 インスタント・シトロンが所属していたレーベルということでなければ、 おそらく知ることも聴くこともなかったのではないか。 このコンピレーションアルバムには「S!」所属アーティストたちの代表曲が収録されているが、 2〜3曲を除いて、基本的に好みの曲が集まっている。 これはこのレーベルの音が肌にあっているということ。 「S!」は全体的にピチカートファイヴ以後という印象が強い。 いわばフォロワー的な音楽家たちが集合している。 いかにピチカートの影響力と存在感が大きかったのかが分かるというもの。 東芝版TRIADレーベルというところか。 優れたレーベルは中心に異彩を放つ音楽家がいて、 様々な音楽家たちの先頭に立ちレーベルの方向性を決めていくが、 「S!」にはその位置にいるアーティストがいなかったというのが惜しい。 この路線を続けていくことができたら…、潰えた夢を追うのは止めよう。 さて、アルコ堂が現在注目しているレーベルは…、 それは後日ということにしようか。 結局のところレーベルを紹介することが重要ではなく、 個人個人が見つけだすところに意味があるのだから。 自分自身が心地よい場所は自分にしか分からないのだから。
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月14日分 ・本日の発掘〜 CD/スウィーター・ザン・スイート
・アルコ堂主宰者的日常〜
人間同士の憎しみ、争いは決してなくなることはない。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜184,609アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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CD 菅野よう子の音楽的幅の広さはここでくどくどと言うまでもないことなのだが、 どうも「アニメーション作品の音楽を担当している人らしい」程度の認識に終始してしまっている、 もしくは一般的な認識が低いというのは、非常に損失ではないかと思うことがある。 例えば、宮崎駿監督作品の音楽を担当している久石譲氏の認識度と比較するだけでもそれが分かるというもの。 ある意味ではガンダムシリーズで有名な富野監督のような存在感を持つ音楽家と言い切ってしまってもいいのかもしれない。 特定のファンにとって一種カリスマ的な絶対的存在であるという部分での共通性。 実際、音楽がつけられたアニメーション作品を見ていない人も彼女の音楽は楽しむことができる。 むしろ、音楽が好きなコアな音楽ファンにこそ彼女の音楽はアピールする可能性を秘めている。 クラシカルなオーケストラもの、R&B、ロック、テクノ、ジャズ、民族音楽、果ては童謡に至るまで、 その取り上げられる音楽の広さは尋常ではないものがある。 しかもどの作品を取り上げても完成度が高く、彼女の知識の広さと余裕を感じる。 (本人は研究などしていないと、謙遜しているようだが) ただし、その彼女の音楽が聴き手側が完全に理解しているのかという点については、 いささか不安が残る。月刊ニュータイプ誌において彼女自身の連載記事が毎月掲載されているが、 最新号では彼女自身の戸惑いが感じられる寄稿文が掲載されている。 「よかれと思ってやっていることが、どうもリスナーの求めているものとズレてると気づくときがある」 という言葉の奥に隠されている真意とは何だろうか。 アニメーション作品としての音楽の限界と可能性の中での彼女自身の葛藤とは。 ただ、個人的には彼女の音楽が持っているだろう可能性を信じたいと思っている。 匿名性が強いサウンドトラックで何ができるのかということを 極限まで追求することで、次の段階に進むことができるのではないか、 という淡い希望を抱きながら。 ということを思いながらテレビのCMに耳を澄ませる。 彼女の作り出す音楽がなんと多いことか…。 実は音楽にとってみればそれだけで充分なのかもしれない。 誰が作り出しているのか姿こそ見えないが、 心に浸透する音楽が在るというだけで。
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月15日分 ・本日の発掘〜 特になし
・アルコ堂主宰者的日常〜
来週から忙しくなるのでHPにかかわる作業を急ピッチで進めている。
ここで作業が滞ってしまうことは二度と作業を行えなくなる可能性があるから。
この一週間を何とか乗り切ろう。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜184,936アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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CD フェアチャイルドの音楽を聴くたびに思うことは、分かりやすいものを作り出すことの困難について。 難解なものを難解なまま提示することはたやすいが、難解なものを易しく提示することは難しいということ。 とかく分かりやすいものは軽く捉えられる傾向があるが、実は分かりやすいものこそ難しいということ。 フェアチャイルドの音楽、正確には戸田誠司の音楽には、無意味に難解な部分はほぼ皆無。 今は亡き音楽雑誌ポップインズの「明るくポップにはじける音楽」のコンセプトに近く、 徹底的に分かりやすくポップな音楽に徹している。 ただし、これは戸田氏の膨大な音楽的知識とアイディア、テクノロジーを徹底的に駆使する方法論、 そしてなにより音楽工房的なリアルフィシュでの活動があればこそということは、今更言うまでもないか。 (余談だがやはりインスタント・シトロンの音楽にも同じものを感じる。 フリッパーズ・ギター、ピチカート・ファイヴ、YMO系統の音楽しかり) 難解、というよりその根底に根付いているものを表に出さず、 音楽そのもので表現しているという部分が、 音楽が分かりやすいということに繋がっている。 分かりやすい=音楽そのものが単純、ということではないのだ。 複雑なものから無駄な要素を限りなく取り去った先にあったものが戸田氏の作り出す音楽ということ。 これこそ、「クール」というべき類の音楽ではないか。 「分かりやすいだけ」の音楽や「難解なだけ」の音楽も時にはいいが、 やはり戸田氏がフェアチャイルドでとった方法論を支持したいところ。 本作はベスト盤といいながら、新曲が二曲収録されている上全ての楽曲がリミックスされている、 実にお買い得な一枚。ここでも戸田氏の職人芸が発揮されている。そもそも戸田氏が曲を発表するということは、 (編曲についてのみ言うならば)単なる通過地点に過ぎないのではないか。ベストな状態というのは恐らくなくて、 リミックスという作業自体に戸田氏の本領が隠されているような気がしてならない。 さて、ボーカルのYOUがすっかりバラエティーの人になってしまった今、 フェアチャイルドの復活はもはや望めなくなってしまったし、 時代とともにフェアチャイルドのコンセプトも消え去ってしまったが、 戸田氏によるポップスの逆襲に期待している。 難解なものを難解なまま提示するという方法ではなく、 難解なものを分かりやすく提示する方法論で彼が戻ってくることを信じている。
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月16日分 ・本日の発掘〜
DVD/紀尾井ホールライヴ/竹松舞
・アルコ堂主宰者的日常〜
夏期休暇が自分に与えてくれたもの。
自己に対する客観的な視点と今後の生きかたについて。
時として人は一箇所で思考することも必要だということか。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜185,230アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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CD 音楽を聴く、という行為において何が一番重要だろうかということを考えることがある。 乱暴ではあるけれど、単純に音楽を構成する要素を歌詞、曲、サウンドという具合に分けた場合、 アルコ堂主宰者にとってはサウンドがもっとも重要で、 その後に曲が来て、最後に歌詞(極端な話、歌詞はなくても構わないのかもしれない)、 というような気がする。 ただし、最近は曲が最も重要になっているけれど。 初期サイズは言うまでもなくサウンドがメインだったような気がする。 最新サンプリング機器であったフェアライトCMIを縦横無尽に使用し、 音を構築していくプロセッサー松浦雅也氏によるプロジェクト。 YMO亡き後の物足りなさを確実に埋めてくれたのは間違いない。 ただ、そのテクノロジーを駆使した音楽=サイズという構図に松浦氏は 戸惑ったのではないか。確かにサウンド志向ではあったが、 松浦氏が音楽に託したものはサウンドではなく曲そのものだったはずだ。 サードアルバム「ミント・エレクトリック」での、 居心地の悪さというのは恐らくその部分に原因があるのではないか。 4thアルバムである「ノンフィクション」では、サウンドのみが突出することもなく 曲とサウンドが非常にバランスよく構成されていて、 ある意味で一般にこそアピールできる内容に仕上がっている。 ただ、残念なことにこのアルバムが発表された当時は空前のバンドブーム。 限られた層にしかアピールできず、広がりがなかったことが非常に惜しまれる。 あなたは音楽を聴く場合、何を重要視するのだろうか?。
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月17日分 ・本日の発掘〜
CD/CINE TECHNO
・アルコ堂主宰者的日常〜
テンションが明らかに低下しているなあ。何が原因なんだろうか。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜185,453アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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CD 宮崎駿作品には久石譲音楽作品、石野卓球にはピエール瀧という風に、 絶妙な組み合わせがこの世界には存在している。 いい代えればその組み合わせというものは、 出会う前からすでに決定されている必然的な出来事、としかいいようがない場合がある。 野宮真貴の場合、やはりそれは小西康陽しか考えられないのではないか。 本CDを聴いてその思いがますます強くなっている。プロデューサーとしての 小西氏を高く評価しているのだが、最も優れたプロデューサーとしての仕事は、 野宮氏の現在のイメージを完璧なまでに作り上げたという部分ではないか。 「miss maki nomiya sings」では各楽曲にそれぞれプロデューサーを配置し、 様々な野宮像を作り出しているのだ、ということは確かに分かるのだが、 やはり個人的にはピチカートファイヴで小西氏の作品を朗々と歌っている彼女が 一番彼女らしいような気がする。 ピチカート・ファイヴは惜しくも解散してしまったが、 いつかまた別プロジェクトで小西+野宮コンビの作品が聴きたい。 この世の中には不思議なことなど何もない。 ただ、決して離れられない組み合わせだけが存在している現実がある、ということなのだから。
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月18日分 ・本日の発掘〜
CD「miss maki nomiya sings/野宮真貴」
・アルコ堂主宰者的日常〜
毎日発行は大変。テンションをあげるのに必死。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜185,680アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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CD J-POPからJという文字がなくなる日など来るのだろうか?、 という疑問を提示するところからまず始めたい。 確かに洋楽と邦楽の境界線があいまいになっていることも確かではあるが、 意識のベクトルというものは果たして外に開いているのだろうかとも思う。 それにしてもJ-POPという言葉は一種自虐的な言葉ではある。 極端な話、日本でしか通用しない、 あるいは通用しなくてもいいというニュアンスが 多分に含まれているような気がするが、 聴き手である一般的な音楽リスナーにはそれでいいのかもしれない。 国内でしか通用しなくても、カラオケで歌えるもの、 着信メロディで使えるもの、流行しているという安心感さえあれば、 実は音楽そのものはどんなものでもいいのかもしれないのだから。 そのことは悪いことと一概には言えないし、もちろんいいことだともいえない。 音楽も聴き手も時代と共に変化しているわけで、 もしその変化がないのなら、音楽を聴きつづける楽しみなどないから。 ただ受動的に音楽を聴く、ということではなくて、少しだけ、ほんの少しだけ問題意識を持って音楽を聴いてほしいということ。 その行為によって「J」という文字がなくなる日が来るのではないかと信じているのだが。 「NiNa」は元プラスチックスのメンバーでもあった佐久間正英プロデュースによる B−52Sのケイト、JUDY AND MARYのYUKIらが参加した国籍を越えた究極のバンド。 元ジャパンのミック・カーンなども参加していることから、 80年代のニューウェイヴが好きだった向きには非常に好ましいバンドではないか。 音楽的には好みが分かれるだろうが、 少なくてもそのコンセプトは支持できる。 この後、佐久間氏はビビアン・スーをボーカルにした同傾向にあるニュープロジェクトを 立ち上げたが、それはまた別の話。 果たしてJ-POPからJという文字がなくなる日が訪れるかどうかは分からないが、 少しずつ変化しているということは分かる。 これからも自分の好きな音楽を聴きつづけながら一音楽リスナーとして見守り続けたいと思っている。 本日の余談:でも、ほとんどのJ-POPは積極的には聴かないけれど。 |
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月19日分 ・本日の発掘〜
CD「NiNa」
・アルコ堂主宰者的日常〜
ぼんやりと過ごしているより、充実した生き方をしているからいいか。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜185,902アクセス
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| メディア・タイトル | 感想(その日の気分)・備考など |
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CD 「69/96」「FANTASMA」と実験的要素を取り入れた作品に対して フリッパーズ・ギター期のポップな音楽作品を求めていたファンにとっては どんな印象だったのだろうかと思うことがある。 ましてフリッパーズギターすら知らない、今回が初めてのコーネリアス体験になる若い世代には。 ほぼ4年ぶりのオリジナルアルバムは相変わらずコーネリアスにしか作り出すことができない音世界が広がっている。 地味ではあるが聴けば聴くほど音の発見があるような…、そんなアルバム。 「BGM/YMO」、「ヘッド博士の世界塔」のような存在感に近いといってもいいのではないだろうか。 それにしても4年という歳月は人を変えてしまうに十分な歳月ではないか。 ファーストアルバム「ファースト・クエスチョン・アワード」がリリースされたのが1994年のこと。 あの頃コーネリアスの音楽を好きだった人々のうち、 新譜を確実に聴くという人はどの程度いるのだろうか。 もっとも、それはコアなファンにとっては全く関係がない話。 コアなファン(この言い方はいささか鼻につく言い方かもしれないが)は、 ただただこの日を待ち望んできたに違いない。例え4年あまりの歳月が流れていたとしても、 その歳月はコーネリアスから離れた4年ではなく、 音を聴き込むことでますます近くなった4年だったはずだから。 そういう意味で、今回のアルバム「POINT」は いわゆるコアなファンに対して最大限のサーヴィスがなされている。 彼の作品を丹念に聴いて、リミックス作品をくまなくチェックし、 今回のアルバムの情報をキャッチした次の日には CDショップに走るというような熱心なファンにはたまらないアルバムではないか。 少なくても上記の行動をとっているアルコ堂主宰者はそうだ。 ただ、今回の作品をコアなファンのものだけにしておくにはあまりに惜しい気がする。 できれば幅広い世代、音楽が好きなファンにこそ聴いてほしい。 そう、少なくてもアルコ堂に遊びに来る方には聴いてほしいと思う。 積極的に短時間に集中的に聴いてもいいが、出来れば 環境音楽としてただそこに在るような、そんな音楽の一つとして、いつまでも。 本日の余談:リミックスアルバムがかなり作れそうな気がする。…楽しみにしてます。 |
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・本日の更新情報
1983YMOカレンダー〜1983年09月20日分 ・本日の発掘〜
パンフレット「ローリーアンダーソンツアーパンフ1984」
・アルコ堂主宰者的日常〜
今日は忙しい一日でした。でも集中的に忙しい方が自分の性に合っているのかもしれないと実感しているところ。
明日は嬉しいことがあるし、この週末は楽しいのではないかなあ。
・本日のアクセス数(朝・起動時)
〜186,098アクセス
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メディア日記2001年09月上旬へ
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