メモリアル155
坂本龍一のコンサート/サンフランシスコ
Shoichiro Sakaguchiさん
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2000年3月18日、サンフランシスコで坂本龍一のコンサート
があり、
未来派野郎の時のツアー以来のコンサートに行ってきました。
以下、その時のレポート(に近いもの)です。
場所はfillmoreAuditoriumという
サンフランシスコの名物的な
ライブハウス
(いろんなアーティストがlive at fillmoreと銘打った
ライブ盤を出していますね)です。
観客は4割がアメリカ人カップル、
2割がカップルの一方が日本人、
4割が日本人カップルといったイメージです
(サンフランシスコを中心とした
ベイエリアは日本人が多いし、fillmore自体ジャパンタウンのそば)。
1曲目は坂本がDJスタイルでいろんな音をコラージュする20分以上の
曲で始まりました。
その後BTTB系のピアノソロが数曲、
そのあとパーカッション
をサンプリングしたキーボードを使った曲をやり、
その後はピアノソロでヒット曲
メドレーといった感じで
ラストエンペラーのテーマ、
エナジーフロー、
禁じられた色彩、
東風などを繋いだコンサートでした。
新曲として
LostChildという曲を披露していました(BTTB系の曲)。
1曲目が実験的な現代音楽系でかなり自分を含めた観客を戸惑わせていましたが、
ピアノソロでは観客を魅了させていました。
結局1時間40分を1人でもたせました。
ピアノソロと実験的な曲の構成のコンサートで、
ポップというよりアーティスティック
な感じのコンサートでした。
自分は曲自体には満足でしたけどMCが少なかったのが
ざんねんでした。
盛り上がったのはアンコール前のピアノテクノのような曲
(SolidStateSurvivor
のビートルズのカバー曲のフレーズが入り非常に受けた)、
エナジーフロー、
アメリカ人女性の強引なリクエストにより実現した禁じられた色彩、
東風でしょうか。
日本人客にくらべアメリカ人の客の方が坂本の曲をよく知っており、
コアな
ファンがいたのに驚きました。
日本人客の多くは有名な日本人アーティスト
がくるというので観にきた人が多かったのでしょうか。
1919の後のアンコールの時に、
1919にビートルズのデイトリッパー
のフレーズをいれた件について
「自分でもなぜそうしたかわかんないけど
手が自然に。。(と英語で)」、
あと「Merry Christmas Mr.Lawrence」が観衆の女性の強引なリクエスト
で実現したので、
その後、いろんなリクエストがかかり、
コンサートが
一時中座。
そのときMAY in my bacyardの頭のフレーズを少しだけ演奏。
LostChildrenの紹介の時、
「今度はnew born babyをやる。
この2〜3週間この曲をずっと作業してた(と英語で)」、
東風の演奏の時
「20年前の自分との共演だ(と英語で)」という発言をしていたと記憶しています。
こういうライヴものについての報告なかなかいいものですね。
なんだか現地特派員からの報告のようで実に臨場感があります。
新曲「LostChild」はピアノ曲のようですね。
個人的にはシンセを使った曲に仕上げていただければ非常に嬉しいのですが、
やはりBTTB形式に落ち着くのでしょうね。
何か惜しい気がしますが。
それにしてもサンフランシスコライヴとはすごいですね。
アルコ堂主宰者はものぐさでなかなか出歩かない人なので、
非常に感激しています。
1曲目が実験的な現代音楽系ってぜひ聴きたいです。
この手の曲が実はかなり好きなので、興味がありますね。
LIFEのような感じなんでしょうか。
あるいはエスペラント?。いずれにしろかなり興味があります。
みなさんもぜひライヴもののレポートがありましたら教えてください。
YMO系に限らず、アルコ堂で取り上げたことがあるアーティストのものでしたら、
何でもOKです。アルコ堂主宰者を楽しませてください。
mimo1983
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