むかし話

「埋田谷地」

 ある老人が、こんな話をしてくれた。

美田その名を天下に誇る子吉田圃。その中央に位を占める「埋田の谷地」。

この地名に伝わる古い話である。

 今から四百年ほど前、その頃は子吉田圃とは名ばかりでほとんど稲らし

いものはなかった。小さい谷又萱のようなものが一面に繁るじめじめした

湿地帯であった。天正十年由利十二頭のひとり矢島の大江五郎が大挙子吉

舘めざして進撃してきた。時の城主(子吉右兵衛尉大和守)も終始防戦に

つとめたが利なく、仁賀保に援兵を求めた。急報により仁賀保勢は、一路

由利原を進んできた。子吉勢には優勢といっても、十二頭の旗頭ともいう

仁賀保の大軍を見て衆寡敵せずと矢島の遠征軍は総退却を始めた。

 ところが大湿地帯とも知らず埋田谷地に踏み入れた矢島の軍勢は足を取

られ、馬は沈み大混乱となった。これを見た子吉右兵衛尉は大いに喜び、

矢島の大江五郎に歌一首を送った。

 「矢島殿 今朝の姿は百合の花 晩は子吉の土となるらん」

 このように泥の海と化した自然の難所「埋田谷地」に、馬を捨て、武器

を捨ててやっと逃げ帰った兵は、「埋田谷地」の恐ろしさを、後世までも

語り草としたといわれている。

 多くの郷土史上に「埋田谷地」の地名が記載されていることからも、名

の知れた湿地帯であったことが想像される。

 老人はこの史談のあとに、こう付け加えた。

「この史談とともに、吾々の先祖が埋田谷地に最初の鍬を入れ、湿地帯を

中心に新田開発をし、現在の礎となったことを、その労苦と史実を忘れて

はならない。」

    現在の埋田谷地から鳥海山を望む

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