ほとんどビョーキ



 先日、不摂生で少し入院してしまったが、今のところ私に持病のようなものはない。強いて探せば、パチンコのやり過ぎぐらいのものだろう(^^;)



 そんなものは病気ではないと思っていたのだが、インターネットで検索してみて驚いた。「パチンコ依存症」をキーワードにGoogleで検索してみたら1500件ものサイトがヒットし、それらの内容を見ると、WHO(世界保健機構)は「パチンコ依存症」をガンや糖尿病と同じように病気と認定しているという文章もあった。



 言われてみれば、性懲りもなくパチンコをやり続ける私は、半ば中毒のようなものかもしれないし、「パチンコをやめたら、もっといい人になれるのに‥‥」と思うことがあってもやめることができないのはたしかに病気みたいなものなのだが、はっきり病気であると断定されると、「それはちょっと違うんじゃない」という気にもなる。

 どんなにパチンコが好きでも、他にやらなければいけない仕事があったり、参加しなければいけない夜の会合があったりすればパチンコはやらないし、家族が病気のときなどにはちゃんと帰宅する(^^;)

 あくまでも趣味(?)の範囲で、自分の意志でやっているのだから、自分では病気だとは思っていない。しかし、一般的な尺度で見れば「アイツはビョーキだ」ということになるかもしれないし、そういう気で見ると、パチンコ屋でいつも出会う顔馴染みの常連の人たちも「依存症」の仲間のような気もしてくる(^^;)



 あることに過度にのめり込んでいて、それをやらないと落ち着かないというのが依存症だとすれば、パチンコに限らず、「ママさんコーラス依存症」とか「ボランティア活動依存症」などというものもありそうだが、さすがにそれはないようだ。

 依存症は、脳内ホルモン「ドーパミン」の分泌が関係するそうだが、ストレス解消のために楽しみを求めるときには、脳の中で大なり小なりそのようなホルモンの働きが起きているのだろうから、ドーパミンの分泌が多い(あるいはドーパミン受容体が増えている)からといって、それがすぐに病気であると断定するのはいかがなものかと思う。

 極端な言い方をするので反論もあるかとは思うが、個人的には、「自分の意志では行動を停止することができず、他から強制的に止めてもらわないとやめられない」のが依存症であり、そうでないものは「単なる精神力の弱さ」なのではないかと思ったりする。





 私のことはこのぐらいにして、話題を変えよう。



 今、学校で「手に負えない子供」が増えてきているという。

 具体的には、授業中に次のような行動をするのである。

○ 突然、立ち上がって、教室内を歩き回ったり、教室から飛び出たりする。

○ 気に入らないことがあると「ぶっ殺す」などと暴言を吐いたり、暴行をはたらこうとする。

○ 学習に集中できず、静止をきかずに他の行動をとる。




 ちょっと前に、全国各地にいる教職の友人と集まる機会があって、そのときにこのことが話題になったのだが、どこの地区にも見られる現象らしい。

 こういう子供が学級にいると、担任は授業をスムーズに進めることができず、場合によっては学級崩壊という状況に陥るケースもあるようだ。こういう子供も、教師が一対一で対応すれば落ち着くこともあるので、学級担任以外の教師が教室に駆けつけて対応することもあるようだが、その子のために常時一人の教師をはりつけておくわけにもいかないので、学校現場では頭を悩ませている。



 こういう行動をとる子供には様々な原因があるのだろうが、多くの場合、専門医等に診てもらうと「注意欠陥多動性障害」(ADHDattention deficit hyperactivity disorder)と診断される。

 こう書くと、ADHDの子供たちが全て「手に負えない子供」のようにとられかねないが、そういうことではない。ADHDの子供でも、自分では「暮らしにくいなぁ」と思いながら自分を抑えて集団に合わせた行動をしている子もいるだろうし、ADHD特有の「常識にとらわれない発想力」や「目的に突き進む行動力」などを生かして偉業を成し遂げた歴史上の人物も多いそうだ。(ADHDの説明及びADHDと思われる偉人については、こちらを参照



 歴史上の偉人や天才にもADHDの人がいたとなると、エイズのように最近になって生じた病気ではないようだが、ADHDという名称がついて、はっきり認識されるようになったのは、1980年代以降とのことである。

 学校現場でADHDという名前を多く聞くようになったのは、ここ2・3年のことのように思う。

 ADHDについての説明等を見ると、ADHDの子供は学齢児の2〜10%(日本では5〜8%)程度とのことだが、そうなるとどこの学級にも1人か2人はADHDの子供がいることになる。



 私が子供の頃(昭和30年代)、たしかに学級には「落ち着きがない」とか「集中力がない」と注意される子供が何人かいたが(実は私もその1人である)、最近のように学級の学習をめちゃめちゃにするような子供はいなかったように思う。

 また、現在、ADHDの出現率が「学級に1人か2人」となっていても、全ての学級に授業を妨害するような子供がいるわけではない。(むしろ、ほとんどの学級ではそういうことがないといえる状態である)



 では、近年になって「学級での集団学習では手に負えない」という子供が急激に増えてきたのはなぜだろう。

 私なりに考察してみた。



 「ADHDが昔からあったのか」という視点と、「最近そういう子供が目立つようになった理由は」という視点をクロスさせて考えてみたのが、次の表である。


ADHDは昔からあった
ADHDは最近になって生じた
昔、そういう子供が目立た
なかったのは
騒いだりすると、教師から厳し
く叱られたので、叱られること
が怖くて自制したから。
この頃は、そういう子供がいな
かった。
最近、そういう子供が目立
つようになったのは
個を大事にする教育が徹底し、
厳しく叱るよりも、子供のよい
ところを見つけてほめることを
主にした教育が行われるように
なったため、怖いものがなくな
ったから。
環境ホルモン・栄養不良などの
外的要因が、脳に影響を与える
ようになった。
学校や家庭での教育やしつけが
子供の問題行動を増長させるよ
うになった。




 上の表を見て、「なんか違う」と感じられた方も多いかと思う。

 実は、上の表の整理の仕方は、「ADHDは厳しく叱れば抑制できる」とか「子供を甘やかす教育やしつけがADHDを生んだり出現させたりしている」という考え方に立っているからである。

 この考え方は、冒頭で触れた「パチンコ依存症」に対する私の考え方と同じである。つまり、「そんなものは病気と呼ぶようなものではない。気持ちを強く持てば自制することも可能だ」という考え方である。



 しかし、ADHDを「本人の意志ではどうにもならない脳内の構造の異常によるもの」ととらえるならば、上の分析はあてはまらないことになる。

 「厳しく叱ればなんとかなるはずなのに、それでも言うことをきかない」子供だと思うから「手に負えない」と感じるのであって、「本人もなんとかしなくてはと思っているけれど自分の力ではどうにもならない病気」の子供だと考えれば、とても可哀想な子供ととらえるべきなのである。



 「悪いことは悪いとしてきちんと叱り、厳しくしつければ、こういう子供はなんとかなる。子供を甘やかす教育がこういった子供を増長させている」という考え方も現場にあることは事実である。

 しかし、現在の教育の主流は、その考え方とは逆の方向に動いている。先日、特殊教育の専門家の方に、こういった子供について相談したら、「厳しく叱ったりするのは逆効果である。こういう子の思考パターンに合った指導法を心がけなければならない」という助言をいただいた。

 どっちかというと古い考え方であった私も、現実に即した考え方に改めなければならないということなのだろう。



 ただ、こういった特殊な行動をとる子供に対応するには、現在の学校の組織では無理がある。学級担任がこういった子供に適した対応をとりながら学級での授業を進めるのはとても難しいことである。

 集団行動から逸脱する程度が激しい場合には、そういった子供に対応できるような特殊学級(情緒障害ということになるだろう)を設置するか、一般学級に在籍する場合には補助教員を配置する等の手だてが必要となる。

 こういう問題が顕在化したのがここ数年という理由もあるのかもしれないが、残念なことに現在のところ、そういう手だてをとるための予算措置等はほとんどないような状態である(地方自治体で対応しているところも若干あるようだが)

 2003年度の国家予算では、学力向上のための予算増額等が行われているようだが、学校現場で悩んでいるこの問題にも大いに配慮してもらいたいものである。



 ADHDの原因として考えられているものの一つに「ドーパミン受容体の伝達経路異常」があるようだ。最初に述べた依存症と似た要素があるのは面白いことである(面白くもないか‥‥)

 そうなると、私のパチンコ病も、ちゃんと専門医に診てもらったほうがよいかもしれない(^^;)

 ただ、「ホルモン等の異常による病気の疑いがある」ということで、それを受容するのがよいのか、あるいは「本人の意志が弱いのが原因なのだから、びしっと厳しく指導してなおしてやる」のがよいのかの見きわめは難しいことである。

 「もしかした病気なのかもしれない」ということで、厳しく叱ることを避け、「可哀想な子供なのだから、それを認めて受け入れてやらなければならない」という対応が多くなりすぎれば、教育もしつけも成り立たなくなってしまう。

 行動に現れる異常が病気か否か見きわめるのは難しいことである。
<02.12.22>


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